制作・出演 : 六代目
竹管を使った日本古来の楽器である篠笛と能管(能楽に用いられる笛)を中心に、太鼓、筝などで、純日本的なメロディを演奏。細くやわらかな音色の篠笛と勇壮な音色の能管が奏でる調べは、寂しさというより清冽な響きとして心に染みわたってくる。
圓朝が自作の芝居噺「累ヶ淵後日怪談」を明治になって素噺「真景累ヶ淵」と改作・改題して演じたのを圓生が。旗本深見新左衛門が金貸し宗悦を殺し、後に深見の息子新五郎が宗悦の娘お園まで殺してしまう噺。真景は明治の流行語“神経”の転換だという。
富本節(清元)の女師匠豊志賀が、20歳近く年下の新吉と同棲。ところが豊志賀は、若い女との間柄を邪推し、結局新吉にかかわる女を七人までとり殺すという書き置きをして自害。女師匠の嫉妬や執念とドロドロした噺をサラッと語る、名人芸に聴き惚れる。
古今の逸品、圓生百席のCD復刻シリーズ。本巻には得意の人情噺、畢生の名人芸「真景累ヶ淵(しんけいかさねがふち)」から2話が収められている。淡々とした語り口ながら生き生きとした情景が描かれ、新吉が眼の前で歩き出すような臨場感はさすがである。
江戸を案内するはずの番頭が、逆に若旦那の善次郎に江戸の名所の由来を講釈されてしまう。ガチガチの堅物の若旦那が吉原の松葉屋瀬川と馴染みとなり、半年で八百両使い、ついに勘当される。その若旦那のもとに瀬川が郭を抜けてくる。73年12月の録音。
落語の中でも人情話の長編「双蝶々」を収録。悪態をつく子供や酔っぱらいを演じさせると圓生のうまさが光るが、この噺は格別の出来映え。当時の風俗描写や今では使われることが少ない温かみのある言葉まわしも趣がある。年輩の落語ファンなら必聴。
圓朝の名作といわれる『牡丹灯籠』を圓生が再構成し、生真面目にテキストのようにじっくりと語っている。何とも粋な「梅にも春」の一節を出囃子に使い、さらに[2]では幽霊ものだけに『御札はがし』の出囃子・送り囃子には「青柳」を使っている。
『圓正百席』もいよいよ佳境に入り、前作から「人情噺集成篇」となった。本作の「牡丹燈籠」は、巧みな人間描写が映える演目だ。圓正ならではの艶やかな描写が素晴らしい。圓正の人情噺は、圓正の十八番であるのと同時に人情噺の極めつけでもある。★
圓生百席もいよいよ大詰めに近づき、人情噺の大作が登場してきた。人物の演じ分けに細心の注意をはらった噺家だけに、ここでも遊人(圓生は“あすびにん”と正しく発音)はそれらしく、武士も階級によって口調を変える。そのあたりも意識して聴いてほしい。
このなかでは(2)が大好き。キョーフの知ったかぶり隠居の、はげしいこじつけがもうめちゃ面白いわけだが、それがこの圓生が実にもううまいのだ。こういう嫌みな奴をやらせると圓生の右に出るものはいない、と言ってしまおう。もち(1)も(3)も文句はない。
人間がお狐様になりすまし、人を騙す「紋三郎稲荷」。侍と船頭の演じ分けが小気味よい、欲深かな船頭の夢物語を枯れた口調で語る「夢金」。大ホラ吹きの「彌次郎」は勢いというかテンポが勝負の噺で、四季がゴチャ混ぜの庭の描写など豪華絢爛である。
圓生という超ベテランの味が堪能できる本シリーズの中でも、まさに通好みの2編を収録したスタジオ録音盤。どちらかと言えばメリハリのない噺の「山崎屋」は、絶妙の人物描写で語る圓生の真骨頂。「湯屋番」も下品に聞こえない口調はさすがの噺っぷりです。
お馴染み、六代目・三遊亭圓生の古典落語をダイレクトに収録した『圓生百席』シリーズ。45作目となる本編には、75年4月26日に収録した「淀五郎」と、同じく75年7月2日に収録した「らくだ」をカップリング。その迫力ある語りをぜひ味わってほしい。
「左甚五郎」は、名人がその名を隠して棟梁政五郎の身内となり三井家のために大黒像を彫り上げるが、その間の天才奇才ぶりの描写が笑いを呼ぶ。「一つ穴」は、本妻が権助に旦那を尾行させて妾宅を突き止め乗り込むという、いかにも落とし噺らしい噺。
お馴染み、六代目三遊亭圓生の軽妙な語り口を堪能出来るこのシリーズ。37作目となる本盤には、75年に録音した「一人酒盛」。74年に録音した「百年目」の2つの落語を収録。江戸時代から続く落語の王道とも言うべき噺を、圓生の語りを通し味わおう。
3席とも圓生ならではという噺でファンにはうれしい1枚。特に「不幸者」と「骨違い」は近ごろはめったに聴かれない珍しいネタで、それだけでも聴く価値がある。人物描写の巧みさには定評があった人だけに、登場人物の誰もが生き生きと描かれている。
好評の大全集、第39弾は中国に伝わる話をもとに落語に仕立てられたという「文七元結」(76年録音)と、「へっつい幽霊」(74年録音)のカップリング。「文七元結」は舞台劇化され、六代目菊五郎やエノケンまでもが上演したという、人情噺の極致。
落語を笑わせるだけの芸としか考えない人種には、落語の本当のおかしさ、奥行きの深さは理解できない。この「包丁」「ミイラ取り」には人間の悲哀、果てしない愚かさ、その暖かさがにじみ出る噺で、圓生の技がハマりにハマった作品である。落語初心者にも一聴をお薦めしたい作品だ。
ちょっとお色気の入ったお噺「なめる」が、下品にならないところはさすがの圓生。女性の描写がひたすら感心するほどにうまい。「甘四考」では大正や昭和初期あたりを知る人なら懐かしい描写が続々。当時の風俗のおかしさを知る粋人ならではの快作。