小説むすび | 著者 : 中野和久

著者 : 中野和久

グラバーの息子グラバーの息子

発売日

2025年8月12日 発売

父トーマス・グラバーからトミーの愛称で呼ばれて いた倉場富三郎は、少年時代を長崎と東京で過ごし、 数年間のアメリカ留学を経て21歳のとき長崎に帰っ てきた。 大学では父が望む経営学ではなく生物学を 専攻したものの、学位を取らず中退しての帰国だっ た。当時はアメリカも日本も、日英のハーフである 富三郎を快く受け入れてくれる時代ではなかった。 押し出しの強い父とは違い、温厚で生真面目で優し い心を持つ彼は、世間の偏見を跳ね飛ばすことが出 来なかったのだ。   しかし、父のいる東京ではなく生まれ育った長崎での 独立を希望した富三郎はその後、一念発起し経済人とし て大活躍していくことになる。   彼は汽船会社を立ち上げ、日本初のトロール漁法を導 入して水産県長崎の基礎を作った。また語学力を活か して長崎の経済人と外国人事業者の交流の場となる 「内外クラブ」を設立するなど国際貢献にも大きな 役割を果たした。 彼の業績のうち最も知られるものの一つは、20年の 歳月をかけて制作した『日本西部及び南部魚類図譜』 だ。この通称『グラバー魚譜』には約800種の魚介類 が細密に描写されていて、美術的価値とともに当時の 魚類資源を知る貴重な資料となっている。   富三郎自身のたゆまない努力と情熱で獲得してきた 栄誉と名望であったが、太平洋戦争によってその一 切が無に帰してしまった。日本国籍を取得していた にもかかわらず、イギリス人を父に持つ富三郎はい わゆる「敵性外国人」にされてしまったからだ。 ハーフという理由だけでスパイ嫌疑をかけられ、 常時、憲兵に監視されるようになってからは、 彼のもとから潮が引くように或いは手のひらを反す ように知人や友人たちが去っていき、長年住み慣れ た「グラバー邸」からも引っ越さざるを得なくなっ た。  妻に先立たれ、長崎に原爆が投下され、そして 玉音放送があって数日後、富三郎は自ら命を絶っ た。夫妻に子はなくグラバー家は断絶した。  彼は明治3年に生まれ昭和20年に亡くなった。 75年の富三郎の生涯は、帝国主義国家としてスタ ートした近代日本が軍事大国となり、そして破滅 していく時代と重なる。彼の一生を辿ることは、 私たちの国がどこで方向を誤り、私たちがなぜ 簡単に変質してしまうのかを知ることでもある。 近代長崎の恩人ともいえる倉場富三郎を死に向 かわせたものは何だったのか。戦争と人をめぐ る歴史小説『グラバーの息子 敵性外国人にな った倉場富三郎』に、そのこたえが述べられて いる。 <目次> 第一章 偉大な父 第二章 一本松邸 第三章 ベストパートナーと居留地新時代 第四章 成果と哀愁のアバディーン 第五章 それぞれの別離 第六章 ライフワーク 第七章 忍び寄る暗雲 第八章 戦争と旧居留地 第九章 長崎の運命と共に

シーボルトの親友シーボルトの親友

発売日

2024年5月2日 発売

友をとるのか、それとも国か。 その究極の選択が招いた運命を、彼は 後悔しなかった。 50人を超える検挙者を出したシーボ ルト事件には今も多くの“謎”と“何故” が残る。 著者が膨大な史料を読み込み、江戸時 代後期に起こった大疑獄の真相に迫る。 <出版社より> シーボルト事件では多くの日本人が検挙され、 中でも重罪とされた4人には死罪や永牢など の処分が下されました。本書の主人公はその 一人、シーボルトの信頼厚いオランダ通詞の 吉雄忠次郎です。終身禁固刑となった忠次郎 は北国の米沢新田藩に預けられることになり、 天保元年(1830)から座敷牢で幽閉されます。 その、次第に衰弱していく忠次郎を親身に看 病した医師が吉田元碩です。 忠次郎は厳しい取り扱いのなか2年8ヶ月後、 天保四年(1833)に死去しました。本書では 忠次郎が吉田の問いにとつとつと答えるかた ちで、事件の全貌が現れてきます。ただシー ボルト事件には幾つかの謎が残されていて、 著者は膨大な史料を読み込み、背後に蠢くあ る雄藩の存在を指摘しています。 まさに歴史ファン必読です。 定価(本体価格1800円+税) 判型:四六判 並製 382ページ ISBN978-4-88851-405-7 C0093 発行日2024年4月23日(初版) <内容> シーボルトの親友 シーボルトはスパイだったのか!? 長崎と江戸で進む幕府の捜査、次第に追 い詰められていく腹心の阿蘭陀通詞の視 点から「シーボルト事件」を描く迫真の 小説 NIPPON 日本から追放されて30年後、日蘭修好通 商条約締結の翌年安政六年(1859)に長男 アレクサンダーを伴って再来日を果たした シーボルトの栄光と挫折を描く

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