著者 : 田中山五郎
長野県栄村は新潟県境に接した山のなかにある。一九五六年九月に下高井郡堺村と下水内郡水内村が合併して発足した。 平坦地は少なく、森林が八割を占める。耕地も狭く、わずかの田では自家で一年に消費するだけのコメはとれなかった。コメはせいぜい半年分を確保できればいい方で、あとは雑穀を主食がわりに、ようよう命をつないできた。 村人はこの貧食から抜け出そうとしていろいろ試みたが、山から湧きだす自然の用水は限られ、水田を広げようにも広げられなかった。村の大部分を覆う山林を眺めつつ、村人は幾世代にもわたってその思いを抱きつづけてきたのであった。 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 五月下旬、山の中腹には冷たい雪解け水がちょろちょろと足元を濡らして流れている。それが地下足袋の指先にジンジンと凍み込んでくる。村人は「野々海」が貯水ダムとなり、やがて黄金色の稲穂の垂れるのを夢見て働いていた。一服し、濡れた地下足袋を陽にかざす。見上げる彼方に「野々海」が待っている。(「天空の甕」より) 村人は貧食から抜け出そうとしていろいろ試みた。標高1000メートルの山頂に、周囲4キロメートルのくぼ地がある。毎年、豪雪を溜めこむが、春から夏へ、太陽に暖められて雪解け水となり、谷に流れ込む。「野々海」と村人は呼んだが、いうならば自然の水ガメである。この水を田に引き込むことはできないか。 (「天空の甕」より抜粋) 他、2話(開墾地の春/婿養子)を収録 天空の甕 開墾地の春 婿養子
安政の大獄事件はその末端で福島の一人の百姓が巻きこまれた。罪人として八丈島におくられた。五年の後、許されて故郷の村に戻って来た。福島桑折代官川上猪太郎は早くもこの男に注目した。幕末に至り、福島城主板倉候は徳川幕府の下命により急遽軍資金の増額を命じられた。家臣桑折代官川上猪太郎に命じて増収を図ることになる。これの拠出は蚕種紙、生糸などの産物取引の歩銭の増額で対処しようとしたが、百姓、仲買い人等が怒って取引市場を閉鎖して対抗した。折から、不作の夏、福島平野の190カ村の民衆は、飢えに苦しみ大挙して福島城に押しかけた。その中に島から戻って来た菅野八郎がいた…。