鉄のあけぼの 上
「我々日本人は『故郷のあるユダヤ人』になろうじゃないか」。戦中・戦後の苦難を乗り越え、昭和25年に川崎製鉄を創設した西山弥太郎は、千葉に世界最新鋭の製鉄所を建設するとぶち上げる。日銀の一万田総裁が「強行するなら、ぺんぺん草が生えることになる」と毒づいたと言われる中、第一銀行の酒井頭取は「もはや矢は弦を離れた」と支援に踏み切り、通産省の若手官僚たちも「日本の再建には良質の鉄が必要だ」と後押しした。
「我々日本人は『故郷のあるユダヤ人』になろうじゃないか」。戦中・戦後の苦難を乗り越え、昭和25年に川崎製鉄を創設した西山弥太郎は、千葉に世界最新鋭の製鉄所を建設するとぶち上げる。日銀の一万田総裁が「強行するなら、ぺんぺん草が生えることになる」と毒づいたと言われる中、第一銀行の酒井頭取は「もはや矢は弦を離れた」と支援に踏み切り、通産省の若手官僚たちも「日本の再建には良質の鉄が必要だ」と後押しした。