菖蒲咲く頃、大河内家を訪問した老侍が、“昌道公潔白の儀”と称する文を大目付の政盛に手渡し、そのまま門前で腹を切った。二月ほど前に、沼田藩主真田昌道が阿片抜け荷の咎により、右京に介錯されていたのだ。またぞろ田沼意次の謀なのか…。