戦国無頼帳
伊予松前5千7百石の城主加藤嘉明は、慶長5年9月15日、いわゆる天下分け目の合戦“関が原の役”で徳川家康に味方し、一躍20万石の大名にのし上がって新城を構築せんと画策し、勝山の地に三層の天守閣をもつ城下町を建設することになった。普請奉行足立右衛門重信は、主君の意を受け、この地の土質や降雨量、さらには樹木の種類に至るまで調べるという充分な考究を重ねて築城に当たっていたが、小天守の石積みで意見の食い違いをきたしていた。亡き母に代わって父の世話に務めるひとり娘の千波は、そんな父の疲労を肌に感じ取っていた。とある日、せっかくの土塁を何者かに爆破されるという事件が出来した!-“金亀城”構築をめぐっての普請奉行父娘の剣と恋の物語。