永き清流
幼い頃に父を失い、母に育てられた佐藤藤佐(さとう・とうすけ)は、母親が工面した資金で江戸に旅立つ。江戸で旗本の柳生但馬守邸で奉公を勤める傍ら家計財務を担った。その後、豪農の養子となり、妻を得た藤佐は子宝にも恵まれた。その子泰然(たいぜん)は、蘭学医を目指し高野長英の門下に入った。泰然の末子となる林董(はやし・ただす)は英語に長け、工部省に入省。官吏となって17年余りの経験を経て、彼の行政手腕は地方の首長が務まるまでに磨き上げられていた。明治33年2月、林董は正式に駐英公使の辞令を受けた。その後、満洲問題では、外相となっていた林董の外交方針と関東都督府との対立があり、満洲の日本陸軍が強硬な姿勢を取り続けた。それは清国の反発を招き、紛争が継続していたが、政府は外交努力を続け、日仏協約や日露協約を締結し国際協調を進める一方、大韓帝国への圧力を強めた。林董は外務省を去った後、晩年は病に苦しみ、1913年に静かに生涯を閉じた。その人生は波乱に満ちており、多くの困難に直面しながらも、外交官としての使命を果たそうとした。佐藤藤佐、泰然、林董ら佐藤家の人々を中心に幕末から明治に至る激動の時代を背景に彼らの人生と当時の傑物たちを描いた歴史大河小説。
永き清流