バトル・オブ・ジャパン(2)
昭和20年5月18日、サイパン島に地鳴りが響きわたる。米艦隊による艦砲射撃の凄まじき轟音であった。容赦のない鉄のスコールが日本軍に降りそそぐ。マリアナ諸島を守備する中部太平洋方面艦隊司令長官、山口多聞中将の顔色も冴えない。頼みの綱であった連合艦隊は、横須賀ですでに壊滅していた。孤立無援-それが、中部太平洋艦隊の置かれた状況であった。反撃もままならぬまま、同月21日未明、山口司令長官は唇を噛みしめ、サイパン島をあとにした。マリアナ諸島は米軍に制圧され、新たなる強兵の配備が開始された。それは、日本軍の誰も目にしたことのない、巨大な爆撃機であった。
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マッカーサーは戦死し、ポートモレスビーは陥落した。ヒトラー大統領は太平洋の防衛線をサモア、ニューカレドニア、オーストラリアまで後退させることに同意。ヒトラーは、ハルゼーとスプルーアンスを前にある懸念を口にした。それはパナマだった。P80を100機配備し、日本の攻撃機に備える…。戦争の早期終結を模索する米内首相の前に、陸相・東条英機が現われた。東条は「竜巻作戦」の発動を米内に告げた。パナマ強襲上陸作戦が動き出したのだ。その頃、南米ウルグアイの港には、南雲忠一率いる伊201号潜の姿があった。南雲の役割は南米諸国の中立をはっきりさせることだった。1948年2月、連合艦隊の総力を結集した大艦隊がパナマ沖にあった。山口多聞連合艦隊司令長官の指揮する乾坤一擲の大作戦が火蓋を切った。 1998/09/15 発売