出版社 : 六興出版
一流企業の秘書からヌードモデルに転身した八重子は単なるヌードモデルではなかった。昭和30年代まで、常にコダックに先行され続けていた日本写真界の勝利をもくろんだ富士フイルムの技術と宣伝のための被写体として、八重子は酒も恋も禁じられ、杉山のカメラの前に立ち続けた。一方「X線撮影法大系」のモデルとしてレントゲン撮影機の透視台の上でポーズをとり続け、日本放射線医学界に知られざる貢献をした稀有の存在であった。杉山吉良の名作「讃歌」のヌードモデル太田八重子の栄光と愛と死の短い生涯を描く。
後醍醐帝が理想とされた王政復古成り建武新政が始まったが、肝腎の戦後処理に失敗して活気がない。むしろ不平不満が溢れている。北条の残党が各地に決起し鎌倉を奪回、直義は敗走。弟を助けに急行した尊氏には逆賊の汚名が。二人天皇のいずれが正統なのか。尊氏は逆賊で正成は忠臣か?人間の業、権力の魔性故に欲望が狂い踊る無限の暗黒時代をかき探る。
北国育ちの魏の水軍は、船酔い続出で戦力が低下していたため、曹操も連環の計を受け入れてしまった。孔明の奇蹟を待っていた呉の周瑜は、生暖かい東南風が吹くや否やただちに充分用意されていた作戦を発動した。陸上には要所に各軍団を展開、水上には船足の速い大小の船艇を進ませた。この船団こそ、燃えやすい柴や油をかけた干し草、煙硝などを満載した焼打ち艦隊だった。八十余万の魏軍は一夜にして3分の1に減った。これが赤軍の戦だった。
後漢末の三世紀、漢室の正統の血を引く青年、劉備も〓@56B0県の楼桑村に母親とむしろを織って売り暮らす、しがない身である。この時代を嵐のように吹き荒れた黄巾の賊の乱を避けようとすれば、人々は酷史の収奪にあわねばならなかった。すでに朝廷の威令は届かず、ねい臣がはびこり、地方官またいかにして私腹を肥やさんかと盛んに民を追い使った。後に「三国志」のスターになる関羽も張飛も、この世情では才能を発揮できず空しく膝を抱いていたのであった。が、劉備の血統を知り、その人格識見に親しむや、盟主にはこの人をこそ、と祭壇を作って祈り、劉備を長兄として天下万民を救わんと三人誓い合う。