著者 : 古井由吉
インフルエンザの流行下、幾度目かの入院。ホールの雛飾りに節句の頃におこった厄災の記憶が去来する(『雛の春』)。改元の初夏。悪天候と疫病にまつわる明の医学者の教え、若かりし日に山で危ない道を渡ったことが甦る(『われもまた天に』)。梅雨さなかに届いた次兄の訃報。自身もまた入院の身となり、幼い日の敗戦の記憶、亡き母と父が浮かぶ(『雨あがりの出立』)。台風の被害が伝えられるなか、術後の三十年前と同様に並木路をめぐった数日後、またも病院のベッドにいた(『遺稿』)。現代日本文学をはるかに照らす作家の最後の小説集。
小説とはいったいなんなのか。書くという行為にはいかなる意味があるのか。作家たちのあくなき挑戦はやまない。二十一世紀を迎えた『群像』は、読者と常にともにあり、表現の多様さと読みの可能性を追求しつづける。現代日本文学の到達点を示す十八篇。
雨の音、町工場の金属音、窓外を歩く人の足音。無防禦な耳から身内に入り込む音が過去と像を結び、夜半の蜩の声で戦争の恐怖、破壊と解体が噴出する表題作他、男女の濃密なエロスが漂う「除夜」から、空襲に逃げ惑う少年の姿に震災後の今と未来を予感させる「子供の行方」まで。時空の継ぎ目なく現れる心象、全官能で入念に彫琢した文章。齢を重ね、なお革新と深化を続ける古井文学の連作短篇集。
老齢に至って病いに捕まり、明日がわからぬその日暮らしとなった。雪折れた花に背を照らされた記憶。時鳥の声に亡き母の夜伽ぎが去来し、空襲の夜の邂逅がよみがえる。陽炎の立つ中で感じるのも、眠りの内のゆらめきの、余波のようなものか。往還する時間のあわいに浮かぶ生の輝き、ひびき渡る永劫。一生を照らす、生涯の今を描く古井文学の集大成。
爆風に曝された大空襲から高度成長を経て現代へー個の記憶が、見も知らぬ他者たちをおのずと招き寄せ、白き“暗淵”より重層的な物語空間が立ちあがる。現代文学を最先端で牽引しつづける著者が、直面した作家的危機を越えて到達した、傑作。
一九七〇年、文芸雑誌「文芸」は二度にわたり、当時たびたび芥川賞候補に挙がっていた若手五人を集め、座談会を開く。翌年小田切秀雄に「内向の世代」と呼ばれる彼らの文学は、現代の作家たちにも大きな影響を与えることになる。本書は座談会出席者の一人黒井千次氏が、初期作品の中から瑞々しい魅力を放つ小説を精選した稀有なアンソロジー。
寺の厠でとつぜん無常を悟りそのまま出奔した僧、初めての賭博で稼いだ金で遁世を果たした宮仕えの俗人ー平安の極楽往生譚を生きた古人の日常から、中山競馬場へ、人間の営みは時空の切れ目なくつながっていく。生と死、虚と実、古と現代。古典世界と現在の日常が、類い稀な文学言語の相を自在に往来し、日本文学の可動域を、限りなく押しひろげた文学史上の傑作。読売文学賞受賞。
留守番電話のテープに聞き入る三人の男「声の巣」。決められた役割を忠実に演じる私たち「学校ごっこ」。女の姿をした蛇が私の部屋に住みついて「蛇を踏む」(芥川賞)。家族の頚木から解き放たれたはずなのに「家族シネマ」(芥川賞)。あのとき彼はなぜ人を拝んだのか?「不軽」。足先から滴る水と寝室に現れる兵隊たち「水滴」(芥川賞)。静かに老いゆく妻、友と見た景色「椿堂」。僕が深夜の公園で遭遇した、ある出来事「無情の世界」。現代文学四〇年の試みを眺望するシリーズ第五巻。
父と子。男と女。人は日々の営みのなかで、あるとき辻に差しかかる。静かに狂っていく父親の背を見て。諍いの仲裁に入って死した夫が。やがて産まれてくる子も、またー。日常に漂う性と業の果て、破綻へと至る際で、小説は神話を変奏する。生と死、自我と時空、あらゆる境を飛び越えて、古井文学がたどり着いた、ひとつの極点。濃密にして甘美な十二の連作短篇。
女を亡くしたばかりの朝倉と、春には女と暮らす篠原。十一月、男たちは二人きりの旅に出る。燃えあがる紅葉が狂ったように輝く山をくだり、人家を離れた宿で眠りについた彼らは、雨の過ぎる昏い寝床の内から、谷を渡る鐘の音を聴いたー。現代文学の最高峰を示す連作八篇。
初期長篇三部作の第二巻。崩壊の発端を細密に描く「栖」、人間の関係の迷路をめぐって生の闇を暴く短篇集「椋鳥」。古俗と聖性の土地から都市へ、性と出産、関係の失墜、狂気の進行。人間の営みの深い淵をえぐり、現代の男女の危うさを定着した著者円熟期の傑作。
著者自身が厳選した待望の著作集!聖・俗と狂気をめぐる長篇三部作の劇的な到達点「親」。形式と文体の閾を越え、新領野を拓く傑作「山躁賦」。山の気が、説話の人物が、死者が、過去の自分が深くくぐもった声となって語りかけてくる。紀行ともエッセイとも従来の小説とも分類できない独自の自在な表現と文体の空間がここに登場する!多くの人がベストにあげる著者の代表作。
著者自身が厳選した待望の著作集。谷崎潤一郎賞受賞の長篇「槿」および川端康成文学賞受賞の「中山坂」を収録した「眉雨」を一巻にまとめる。八〇年代の逸脱と不安の裡で進行していた危機をエロスと幻影と謎を柱に実験的な長篇に仕立てた著者最大の問題作。そして巧緻な文体の限りを尽くした緊密な短篇集成。
著者自身が厳選した待望の著作集。読売文学賞受賞の代表作「仮往生伝試文」全作を収録。説話が伝える僧俗の往生、現代の日常に滲む死の実相、今昔の死と生を往還し虚と実、夢と現を果てしなく越境して、文学の無限の可能性を尽くした戦後文学の金字塔。
「老耄が人の自然なら、長年の死者が日々に生者となってもどるのも、老耄の自然ではないか。」-主人公の「私」が、未明の池の端での老人との出会いの記憶に、病、戦争、夢、近親者の死への想いを絡ませ、生死の境が緩む夜明けの幻想を語った表題作をはじめ、「祈りのように」「島の日」「不軽」「山の日」など「老い」を自覚した人間の脆さや哀しみと、深まる生への執着を「日常」の中に見据えた連作短篇集。