著者 : 宮城谷昌光
商王朝の王子・丁は、言葉の不自由のため、父王から追放された。しかし彼は苦難の旅の末に、目にみえる言葉ー文字を創造した。己のハンディを跳ね返し普遍的価値を生み出した高宗武丁を描いた表題作をはじめ、古代中国に材を取った「地中の火」「妖異記」「豊饒の門」「鳳凰の冠」を収録。みずみずしい傑作集。
『三国志』をはじめ長年中国歴史小説を書き続ける著者が、自らの歴史観、世界観、小説観を余すところなく開陳した一冊。『三国志』をめぐる多彩な論考と、五木寛之、井上ひさし、宮部みゆきらとの歴史小説をめぐる対話、さらには碩学・白川静との中国古代史をめぐる対話など、読者を宮城谷昌光の世界へと誘う最良のガイドブック。
父と兄を殺めた祖国・楚に復讐を誓った伍子胥は、楚から呉に移り、決戦の時を待ち構えていた。そこへ後年、孫子と呼ばれる無官の斉人・孫武が、軍師として現れるー。「戦わずして勝つ」ことを実践する兵法の数々。圧倒的なスケールで春秋戦国時代の英雄を描く、大河中国歴史小説。逸話満載の伍子胥篇!
出目で太鼓腹、そして人をつつみこむ明るい磊落ー。乱世において争いを好まず、あえて負けを選ぶことで真の勝ちを得ようともした小国・宋の名宰相、華元。詐術と無縁のまま名君・文公を助け、ついには大国・晋と楚の和睦を実現させた男の奇蹟の生涯をさわやかに描いた中国古代王朝譚。司馬遼太郎賞受賞作。
孫武を迎え入れた呉は、迫り来る大戦に向けて準備を進めていた。その一方、楚では令尹子常が実質的な国の運営を行っていた。傲慢な子常のやり方に不満を持った盟下の蔡と唐は、密かに楚を見切り、呉側についた。孫武と伍子胥はこの戦いをなんとしても勝ちきることを誓い合う。そしてついに呉軍は楚都へ向けて軍を出発させる。呉軍と楚軍は正対し、一進一退の戦いを続ける。そんな中、呉王闔盧の弟、夫〓(がい)が抜け駆けをし、楚軍を撃退する。そのような弟の動きを苦々しく思う闔盧は、孫武の教えに従い夫〓(がい)を罰しないことにするのだがー。中国戦史上、特記される戦いの行方は。そして伍子胥の復讐は果たされるのか。
父と兄を謀略で失い、祖国・楚に復讐を誓いながら呉に逃れた伍子胥。呉の公子光の客人となった伍子胥は、孫武に兵法の協力を仰ぐ。その労ゆえ、公子光は二倍の兵を率いた楚に勝利するも、呉王に命を狙われることにー。〓(せん)設諸との再会と別れ、笵蠡との出会い、黄金の楯。大河中国歴史小説、伍子胥篇のクライマックス!
成都に迫る魏軍に、蜀の群臣は揺れる。一戦もせず降伏を決意した劉禅は、柩を背負い、魏の軍門まで歩く。この日をもって、三国時代は畢わった。その翌年、司馬昭は晋王の位を授かる。天下統一はまだ果たされないが、もうすぐその時がくるー正史に基づき、百五十年もの歴史を描いたかつてない三国志、最終巻。
楚、そして呉王僚を討ち、諸樊との戦いに勝利した公子光は、呉王闔廬に、その子の終〓(るい)は太子となった。子胥は闔廬の使者として、呉の外交を任されていた季子のもとへ向かう。子胥は季子の助言通り、斉の首都臨〓(し)で宰相の晏嬰たちと面会。呉が斉に敵対するつもりはないことを伝えた。来たるべき戦いに向け、介根にいる孫武らを迎えにいった子胥は、孫武の兵法書を闔廬に献呈した。その後、才知を試された孫武は媚びることなく王命を厳然と遂行し、闔廬の信を得て臣下となった。孫武の策により、次々と敵を懐柔していく闔廬。いよいよ、楚との本格的な戦いが眼前に迫る。
伍子胥は父・五奢、兄・伍尚とともに楚に仕える身だった。だが、楚王の佞臣・費無極が弄した奸計により、父と兄は誅せられてしまう。血涙をしぼって危地を脱した伍子胥は、「つぎに楚都にくるときは、楚を滅ぼすときだ」と復讐を固く誓いつつ中原諸国を流離うのだった。大河中国歴史小説の伍子胥篇、第三弾。
後世に名高い「出師の表」を書き、孔明は魏を征伐すべく軍を発する。しかし先鋒を任せた馬謖は兵法には精通しているが実戦経験に乏しく、惨敗を喫す。未だ成熟をみない国の法を重んじ、涙を流しながら馬謖を誅す孔明。一方、尊号を王から皇帝に改めた孫権は、早期の天下平定を目指し遼東の公孫淵と手を結ぼうと使者を送るが…。
三国志より600年前の春秋戦国時代、誰より魅力的な男がいた。その名は伍子胥。楚に生まれながら、大儀のために祖国をも討ち滅ぼそうとする、大きく強い意志の男。そのスケールの大きさと、その濃密なる生きざま、そして滅びの美学を描ききる「伍子胥篇」、第一弾。20歳の伍子胥が主として立つまでを鮮烈に描く。
武術大会で五人の臣を得た伍子胥は、彼らの「主」となる。呉と楚の戦いも始まる中、太子に仕える父・五奢と兄・伍尚には、同じ楚の佞臣・費無極の陰謀が忍び寄る。費無極に背くことは、楚の王に背くことを意味する。父と兄を救うため、人生で初めて伍子胥は「反逆者」となる。大河中国歴史小説の伍子胥篇、第二弾。
永禄3年(1560年)、織田信長の急襲に遭って、今川義元は桶狭間に斃れた。義元に頤使されていた松平元康(家康)は父祖の地、西三河は岡崎城に戻り、悲願の独立を果たす。だが息継ぐ間もなく、一向一揆が勃発。血縁者が敵味方に分かれ、相争う国力消耗の未曾有の事態から家康を救ったのは大久保忠俊(常源)だった。忠俊率いる大久保一党の決死の進退が深く胸を打つ戦国歴史小説の巨編。
徳川の駿河以東への進撃は、武田の南進によって阻まれた。三方原合戦ー家康の前に信玄が立ちはだかる。潰滅的惨敗を喫した家康だったが、天祐ともいうべき信玄の死により再起する。武田勝頼との決戦、長篠合戦において大久保忠世・忠佐兄弟が見せた獅子奮迅の活躍は、信長を驚喜させ、家康の嫡子信康に両雄への憧憬をもたらせた。しかし、運命は極めて残酷な旋回を見せたのだった。
本能寺で信長が斃れ、天下は秀吉が簒奪した。大久保一族では彦左衛門が成長し、忠世・忠佐の奪戦を支え続けた。上田攻めでは真田昌幸、大坂の陣では幸村の深謀に苦戦しつつも彼らの忠義は一瞬たりとも揺るがなかった。やがて、家康は天下を掌握し、忠世・忠佐とも大名となるが…。大久保一族の衷心と、家康の絶望的な冷淡。主従の絆の彼方にある深い闇を描く歴史雄編堂々の完結。