著者 : 柴田翔
戦時下の小学生と教師たち。東京五輪間近、ドイツ留学を前にためらう研究者。自然のままに生きた弟…表題作ほか、20世紀を生きた人々の様々な時間が呼応する、柴田文学の新たなる境地。半世紀の時を経て書き継がれた中短篇集。
1964年の第51回芥川賞受賞作で、当時、一大センセーションを巻き起こした『されどわれらが日々-』。その続きともいえる本作では、その時代の新左翼運動にかかわった血気盛んな青年男女の機微を、ダンスパーティーの現金紛失事件とからめてミステリー仕立てで描いている。登場人物がそれぞれの視点で世界を見つめ、それが一つに収斂されることなく多様性に開かれたまま放置されている点は、『されどわれらが日々-』とは対称的な位置づけにある作品といえる。
1955年、共産党第6回全国協議会の決定で山村工作隊は解体されることとなった。私たちはいったい何を信じたらいいのだろうかー「六全協」のあとの虚無感の漂う時代の中で、出会い、別れ、闘争、裏切り、死を経験しながらも懸命に生きる男女を描き、60〜70年代の若者のバイブルとなった青春文学の傑作。
富裕な男爵エードゥアルト、エードゥアルトの友人の大尉、エードゥアルトの妻シャルロッテ、シャルロッテの姪のオッティーリエ、この四人の男女の織りなす恋愛図式。それは人倫を越えた、物質が化学反応を示して互いに牽きあう親和力に等しい。夫婦や家族の制度を破り出て人を愛するのも自然の力である。しかし、人間は自覚的な強い意志をもってそれに対抗しようとする。
毎朝、日本国憲法を朗々と誦する堅介老人。その妻、名脇役としてならすお径さん。可愛くもけなげなムムちゃんに多少優柔不断なボーイフレンド・エイシン…。その他その他、高潔のようで俗っぽく、いいかぼんなようできまじめな人びとが世紀末を縦横にかけめぐる。この人たちは、いったいどんな明日をむかえることやら。