八八艦隊物語(3)
昭和18年1月、マッカーサー元帥が率いる南西太平洋方面連合軍によってポート・モレスビーから叩き出された第35旅団は、ブナを目指して、撤退を開始した。豪州方面艦隊司令長官・南雲忠一中将から「生きて還れ!」と海中へ突き落された松尾次郎少尉もこの中にいた。オーストラリア軍の追撃と米軍の地上攻撃にさらされ、行く手には標高数千メートルのオーエンスタンレー山脈が阻んでいた。彼らの食料空輸のために零戦隊を率いた西沢広義は、敵編隊を発見し舌打ちした。「新型機か?こいつは強敵だ」-。渾身の第3弾。
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「大正6年8月28日に本艦の工事を開始して以来、今や艦隊の完成を見るに至った。ここに、本艦を『長門』と命名するものである」大正8年11月9日広島県呉軍港で“鋼鉄の浮かべる城”は誕生した。日本海海戦以来、僅か13年、国防の基本を海として強力な戦艦部隊でこれを守るという構想-戦艦8隻、巡洋艦8隻を基幹とする88艦隊計画が樹てられたのである。『長門』に続く15隻、海軍の夢は着実に実現しつつあったが…激動の世界史に抗う東洋の島国にとって、これは苛酷な試練の序曲だった。大型新人の渾身の大作。 1992/11/01 発売
巨艦の群れは、よろばうように入港して来た。3隻の空母を除き、排水量1万トン以上の艦で、無傷のものは1隻もない。爆炎になでられ艦上構造物は完膚なきまでに破壊されている。マーシャル沖海戦で壮絶な戦死を遂げたキンメルに代わって米太平洋艦隊司令長官に就任したチェスター・ニミッツは、この無惨な帰還を復仇の炎に燃える眼で眺めていた。「黄色いならず者め!」日本の勝利は条約違反して18インチ砲戦艦を投入した卑劣な行為によるものだ。太平洋に敵影なし-日本は大勝の熱狂に酔っていたが…。傑作第2弾。 1993/02/28 発売
(あれだけの規模の修理を、最前線で行うとは…。)海軍の艦上偵察機「彩雲」の機長・千早猛彦は、わずか三か月半前のトラック沖海戦で「大和」「鞍馬」と同等以上の被害を受けて着々と回復してゆく姿を何度か見ていた。だが、この日、メジュロ環礁内の雲下には一隻の艦艇、一機の戦闘機、一人の兵士の影も発見できなかった。米軍はどこに来寇するのか。呉鎮守府の作戦会議に居並んだ幕僚たちの表情に緊張が走った。「我が軍の全艦が修理を終えるのに、あと三か月…」それまでの迎撃は、航空機による戦艦撃沈しか途はなかった。 1993/11/30 発売