映画むすび | 発売元 : 株式会社ピカンテサーカス

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福田村事件福田村事件

関東大震災から100年 いま見たことを、伝えたい 100年の時を超え、遂に、実話に基づいたかつてない日本映画が公開された。 日本映画史に残る大ヒット問題作がついにソフト化! 1923年9月1日11時58分、関東大地震が発生した。 そのわずか5日後の9月6日のこと。 千葉県東葛飾郡福田村に住む自警団を含む100人以上の村人たちにより、利根川沿いで香川から訪れた薬売りの行商団15人の内、 幼児や妊婦を含む9人が殺された。行商団は、讃岐弁で話していたことで朝鮮人と疑われ殺害されたのだ。 逮捕されたのは自警団員8人。 逮捕者は実刑になったものの、大正天皇の死去に関連する恩赦ですぐに釈放された…。 これが100年の間、歴史の闇に葬られていた『福田村事件』だ。 行き交う情報に惑わされ生存への不安や恐怖に煽られたとき、集団心理は加速し、群衆は暴走する。  これは単なる過去の事件では終われない、今を生きる私たちの物語。 ★第 28 回釜山国際映画祭 コンペティション部門ニューカレンツアワード最優秀作品賞 受賞 ◎ドキュメンタリー作品の鬼才と言われた森達也による初の劇映画。初めてとは思わせない正統派なドラマ作り、実力派・異色俳優陣による演技に心が熱くなる。 ◎森達也は十数年以上前からこの「福田村事件」の映像化を構想していたが、 「朝鮮人虐殺」と「部落差別」というタブー視されてきた大きな問題を孕んでいたため、企画すら通らないまま映像化は不可能と絶望視された…。 ところが、あるイベントで森は脚本家荒井晴彦と会う。荒井も「福田村事件」の映画化を構想していたのだ。 この二人に加え、ベテラン脚本家佐伯俊道、映画監督井上淳一ら志を同じくする映画人が集まり企画が急発進する。 企画発表と同時に多くの注目を集め、名だたる俳優陣が出演を希望し、製作費を募るクラウドファンディングでは瞬く間に3500万円以上の金額を集めることとなった。 この映画は完成前にすでに沸騰していた! その熱は一切冷めることはなく、関東大震災から100年目となる2023年9月1日に公開されるやたちまち大きな話題を呼び、 ミニシアター規模の興行ながら上映から2か月強で上映館は200館超、興行収入2億5千万円を超える記録的ヒットとなった。 【『福田村事件』ソフト化によせて】 人は集団になったとき、なぜ一人ならばとてもできないようなことをしてしまうのか。初めて映画を撮った27年前から、 いやもしかしたらもっとずっと前から、この命題は自分の中にあったような気がする。 その最悪の典型は戦争と虐殺。ホロコーストにしてもクメールルージュにしても文革にしても、キーワードは常に集団だ。 もちろん関東大震災時の朝鮮人虐殺についても。 一人でオウム施設の中で撮影を続けながら、自分はどこに帰属しているのかと考え続けていた。 会社からは解雇されテレビメディアからパージされ、カメラを手にオウムと社会のあいだを行き来しながら、なぜ自分はいつも一人なのかと考えた。 『A』に続いて『A2』、『311』、『Fake』、『1-新聞記者ドキュメントー』、これまで僕の作品はすべて、 組織と個の相克がテーマになっている。明確に意識していたわけではない。結果としてそうなっている。 だからこそこの命題について、自覚的に撮った『福田村事件』は僕にとって重要だ。 初めてのチームワークで悔いることは少なくないけれど、とりあえずは一人でも多くの人に観てほしいとの思いは今も変わらない。 ーー森達也 『福田村事件』への出演はボクの生涯でも大事件でした。 敬愛する森達也監督の第一回劇映画に出演を請われたものですから即決で引き受けましたが、 撮影直前の2022年の7月10日の投開票の参議院選挙に出馬して初当選、撮影時には新人国会議員でした。 撮影期間と国会の委員会招集が重なりスタッフ&キャストの合宿撮影のなか、ボクはひとりだけ何時でも国会対応できるように毎回、京都へ通っていました。 夏の京都盆地の熱さは聞きしに勝るもので、大正時代の詰め襟の軍服姿は高熱のサウナの中にダウンジャケットで入浴している状態でした。 そしてボクの演じた在郷軍人会長役は怪演と褒めていただいていますが、決して入魂の演技ではなく、 国会と映画の重圧のなか、一度魂を抜かれた状態を経ての憑依であり、役が抜けないまま軍国主義に洗脳される役と現実のシンクロニシティを感じました。 その後、議員は鬱病でスピード辞職をしてしまいましたが、議員時代にボクが遺した唯一の仕事がこの作品です。 映画が百年の時を越え、政治的にも現代に影響力を持ち、邦画史的にも新時代を画する傑作になったこと、 そして病に侵されていきながら自分の姿をスクリーンに焼き付けたことを誇らしく感じています。 はからずも、この映画の宣伝隊長になった小池百合子都知事、松野官房長官が、何時か、この映画を見る日までボクは上映運動をやめないつもりです。 ーー水道橋博士 ※収録内容は変更となる場合がございます。

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関東大震災から100年 いま見たことを、伝えたい 100年の時を超え、遂に、実話に基づいたかつてない日本映画が公開された。 日本映画史に残る大ヒット問題作がついにソフト化! 1923年9月1日11時58分、関東大地震が発生した。 そのわずか5日後の9月6日のこと。 千葉県東葛飾郡福田村に住む自警団を含む100人以上の村人たちにより、利根川沿いで香川から訪れた薬売りの行商団15人の内、 幼児や妊婦を含む9人が殺された。行商団は、讃岐弁で話していたことで朝鮮人と疑われ殺害されたのだ。 逮捕されたのは自警団員8人。 逮捕者は実刑になったものの、大正天皇の死去に関連する恩赦ですぐに釈放された…。 これが100年の間、歴史の闇に葬られていた『福田村事件』だ。 行き交う情報に惑わされ生存への不安や恐怖に煽られたとき、集団心理は加速し、群衆は暴走する。  これは単なる過去の事件では終われない、今を生きる私たちの物語。 ★第 28 回釜山国際映画祭 コンペティション部門ニューカレンツアワード最優秀作品賞 受賞 ◎ドキュメンタリー作品の鬼才と言われた森達也による初の劇映画。初めてとは思わせない正統派なドラマ作り、実力派・異色俳優陣による演技に心が熱くなる。 ◎森達也は十数年以上前からこの「福田村事件」の映像化を構想していたが、 「朝鮮人虐殺」と「部落差別」というタブー視されてきた大きな問題を孕んでいたため、企画すら通らないまま映像化は不可能と絶望視された…。 ところが、あるイベントで森は脚本家荒井晴彦と会う。荒井も「福田村事件」の映画化を構想していたのだ。 この二人に加え、ベテラン脚本家佐伯俊道、映画監督井上淳一ら志を同じくする映画人が集まり企画が急発進する。 企画発表と同時に多くの注目を集め、名だたる俳優陣が出演を希望し、製作費を募るクラウドファンディングでは瞬く間に3500万円以上の金額を集めることとなった。 この映画は完成前にすでに沸騰していた! その熱は一切冷めることはなく、関東大震災から100年目となる2023年9月1日に公開されるやたちまち大きな話題を呼び、 ミニシアター規模の興行ながら上映から2か月強で上映館は200館超、興行収入2億5千万円を超える記録的ヒットとなった。 【『福田村事件』ソフト化によせて】 人は集団になったとき、なぜ一人ならばとてもできないようなことをしてしまうのか。初めて映画を撮った27年前から、 いやもしかしたらもっとずっと前から、この命題は自分の中にあったような気がする。 その最悪の典型は戦争と虐殺。ホロコーストにしてもクメールルージュにしても文革にしても、キーワードは常に集団だ。 もちろん関東大震災時の朝鮮人虐殺についても。 一人でオウム施設の中で撮影を続けながら、自分はどこに帰属しているのかと考え続けていた。 会社からは解雇されテレビメディアからパージされ、カメラを手にオウムと社会のあいだを行き来しながら、なぜ自分はいつも一人なのかと考えた。 『A』に続いて『A2』、『311』、『Fake』、『1-新聞記者ドキュメントー』、これまで僕の作品はすべて、 組織と個の相克がテーマになっている。明確に意識していたわけではない。結果としてそうなっている。 だからこそこの命題について、自覚的に撮った『福田村事件』は僕にとって重要だ。 初めてのチームワークで悔いることは少なくないけれど、とりあえずは一人でも多くの人に観てほしいとの思いは今も変わらない。 ーー森達也 『福田村事件』への出演はボクの生涯でも大事件でした。 敬愛する森達也監督の第一回劇映画に出演を請われたものですから即決で引き受けましたが、 撮影直前の2022年の7月10日の投開票の参議院選挙に出馬して初当選、撮影時には新人国会議員でした。 撮影期間と国会の委員会招集が重なりスタッフ&キャストの合宿撮影のなか、ボクはひとりだけ何時でも国会対応できるように毎回、京都へ通っていました。 夏の京都盆地の熱さは聞きしに勝るもので、大正時代の詰め襟の軍服姿は高熱のサウナの中にダウンジャケットで入浴している状態でした。 そしてボクの演じた在郷軍人会長役は怪演と褒めていただいていますが、決して入魂の演技ではなく、 国会と映画の重圧のなか、一度魂を抜かれた状態を経ての憑依であり、役が抜けないまま軍国主義に洗脳される役と現実のシンクロニシティを感じました。 その後、議員は鬱病でスピード辞職をしてしまいましたが、議員時代にボクが遺した唯一の仕事がこの作品です。 映画が百年の時を越え、政治的にも現代に影響力を持ち、邦画史的にも新時代を画する傑作になったこと、 そして病に侵されていきながら自分の姿をスクリーンに焼き付けたことを誇らしく感じています。 はからずも、この映画の宣伝隊長になった小池百合子都知事、松野官房長官が、何時か、この映画を見る日までボクは上映運動をやめないつもりです。 ーー水道橋博士 ※収録内容は変更となる場合がございます。

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