ジャンル : ダンス・ソウル
「PPAP(Pen-Pineapple-Apple-Pen)」全世界デビュー! チープさが売りの千葉出身のシンガーソングライター、53歳ピコ太郎。 PPAPはYouTube公式、累計7000万回再生突破!関連含む総再生数は驚異の4億超え! ジャスティン・ビーバーもお気に入りとつぶやき、そして世界中の有名メディアからも注目されている。 また日本でも各界の著名人がファンとなり、日本をはじめ、世界中から踊ってみた動画が1万投稿以上。今、大ブームとなっている。 ピコ太郎の目標は、紅白歌合戦とサマソニ出演。 恩人シンガー、ジャスティン・ビーバー。ピコポップソングを世の中にお届けしまっす! <収録内容> 01.ピコアタック 02.PPAP(ペンパイナッポーアッポーペン) 03.ロミータ・ハシミコフ 04.ネオ・サングラス 05.KASHITE KUDASAIYO 06.べったら漬けが大好き 07.☆スイーツまとめて星になれ☆! 08.ねぇ・・・ 09.PPAP(ペンパイナッポーアッポーペン)「ロング」バージョン 10.二文字目ミステイク 11.ピコウォーク 12.PPAP(ペンパイナッポーアッポーペン) KOSAKA DAIMAOU REMIX 13.今いる場所、それはここ 14.変わりゆく女 15.PPAP(ペンパイナッポーアッポーペン) KOSAKA DAIMAOU REMIX ver2 16.ヒヨコ選別 17.最終手段 18.YOME 19.カナブンブーンデモエビインビン 20.ピコ太郎のテーマ 21. PPAP(ペンパイナッポーアッポーペン)(オリジナル・カラオケ) 22.ネオ・サングラス(オリジナル・カラオケ) 23.☆スイーツまとめて星になれ☆!(オリジナル・カラオケ) 24.PPAP(ペンパイナッポーアッポーペン)「ロング」バージョン(オリジナル・カラオケ) 25.KASHITE KUDASAIYO(オリジナル・カラオケ)
プリンスよ永遠(とわ)に... 2016年4月21日に急逝したプリンス。没後初、10年ぶりとなる待望の最新ベストが2CDで登場! 1978年のデビュー作『フォー・ユー』から『ラヴ・シンボル』の12枚のオリジナル・アルバム、 オリジナル・サウンドトラック『バットマン』、『グラフィティ・ブリッジ』、1993年発売のベスト盤『ザ・ヒッツ』に収録された 全盛期のプリンス楽曲を完全網羅!初CD化ヴァージョン*、未発表曲「ムーンビーム・レヴェルズ」収録。 <収録内容> 【CD】Disc.1 01 1999 02 リトル・レッド・コルヴェット ※ 03 ビートに抱かれて 04 レッツ・ゴー・クレイジー ※ 05 ラズベリー・ベレー 06 ウォナ・ビー・ユア・ラヴァー 07 ソフト・アンド・ウェット 08 つれない仕打ち 09 アップタウン 10 君を忘れない 11 ヘッド 12 ガッタ・ストップ 13 戦慄の貴公子 14 レッツ・ワーク ※ 15 ディリリアス 16 ダイ・フォー・ユー 17 テイク・ミー・ウィズ・ユー ※ 18 ペイズリー・パーク 19 ポップ・ライフ 20 パープル・レイン 【CD】Disc.2 01 KISS 02 サイン・オブ・ザ・タイムズ 03 アルファベット・ストリート ※ 04 バットダンス 05 シーヴス・イン・ザ・テンプル 06 クリーム 07 マウンテンズ 08 ガールズ&ボーイズ ※ 09 イフ・アイ・ウォズ・ユア・ガールフレンド 10 ユー・ガット・ザ・ルック 11 プレイス・オブ・ユア・マン 12 グラム・スラム ※ 13 ムーンビーム・レヴェルズ ★ 14 ダイアモンズ・アンド・パールズ 15 ゲット・オフ 16 SEXY MF 17 マイ・ネーム・イズ・プリンス 18 7 19 ピーチ 20 ナッシング・コンペアーズ・トゥ・ユー(愛の哀しみ) ※初CD化ヴァージョン ★未発表曲 【バイオグラフィー】 1958年6月7日、合衆国ミネソタ州ミネアポリス生まれ。本名はプリンス・ロジャー・ネルソン。 学生時代のアマチュア・バンドを経て1977年、ワーナー・ブラザーズと契約。高額な契約金と、全て自分で管理する権利を同時に獲得する。 78年『フォー・ユー』でデビュー。この頃既に27種もの楽器を演奏できたというマルチ・プレイヤー振りで、“ネクスト・スティービー・ワンダー”と 形容されることも。79年、シングル「ウォナ・ビー・ユア・ラヴァー」のスマッシュ・ヒットで注目を集めるようになる。 83年リリースの5作目『1999』が世界的に大ヒット。翌84年、自伝的映画のサントラでもある6作目『パープル・レイン』が 全米でアルバム・チャート24週連続1位、1300万枚のセールスを記録。この作品でアカデミー賞のOriginal Song Scoreを受賞するなど、 その人気と地位を不動のものとする。89年、映画『バットマン』の音楽を担当。92年には発音不能のシンボル・マークをアーティスト名に冠して話題を呼ぶ。 95年には遂に18年間所属していたワーナー・ブラザーズから離脱。翌96年には自身のレーベルNPGをスタートさせ、EMIを通じて3枚組の大作『EMANCIPATION』をリリース。 97年、過去の音源集である『CRYSTAL BALL』をインターネットを通じて実験的にリリース。1999年、アリスタからアルバム『レイブ・アン2・ザ・ジョイ・ファンタスティック』を、 2001年には、アーティスト名をプリンスに戻し、アルバム『レインボウ・チルドレン』を発表。翌2002年には6年ぶりとなる来日公演を行っている。 2004年、アルバム『ミュージコロジー』を4月にインターネットで、5月にCDでリリース。 2004年3月にはロックの殿堂入りを果たし、2005年3月には、人種や社会に関する問題に取り組んできた功績により、過去スタンリー・クレイマーと スティーヴン・スピルバーグの2名しか受賞していないNAACP VANGUARD AWARDを授与されている。これまでグラミー賞7度受賞、47枚のアルバム(サントラ盤、ライヴ盤含む)を発表し、 12作品のプラチナ・アルバム(100万枚以上のセールス)と30曲のトップ40シングルを生み出し、アルバム累計1億枚以(シングル含めると1億2,000万枚以上)のセールスを記録る。 2014年9月30日にはプリンス名義で『アート・オフィシャル・エイジ』とプリンス&サードアイガール名義で『プレクトラムエレクトラム』を、 古巣ワーナー・ブラザーズから2枚同時リリース。 2016年4月15日、自家用ジェット機で移動中、体調が悪化し病院に緊急搬送される。4月21日アメリカミネソタ州の自宅兼スタジオのペイズリー・パーク・スタジ内にて死亡が確認される。