1990年2月21日発売
ひとつの噺を高座にかけるまで、三年以上もかけたという。ノートにきっちりとストーリーを書き、添削を重ね、ようやくあの格調高い“文楽の芸”が完成したのだ。いわば、完成品のみを提供し続けたわけだ。その結果が29席の持ちネタとなった。やはり、なんといっても『明烏』だろう。文楽をしのぐ『明烏』は、まず当分あれわれないと思う。それくらい完成された、至極の芸なのだ。
これだけまとめて先代・金馬が楽しめるなんて、実になんともケッコーですな。(七)(八)など、ファンには最高のプレゼントだろう。もちろん、きわめつけ『居酒屋』は何回聴いても笑わせてくれる。「兜正完?□頭へ来そうな酒だな」とやって、実在する同名のメーカーからクレームをつけられた、なんて話を聞くとますますおかしさが増す。ガンコに生き抜いた江戸っ子の味がいい。
“お結構の勝ちゃん”とあだ名をつけられたことからもわかるように、アクの強さで聴き手に印象を残す、というタイプではない。いかにも“寄席芸人”といった感じの「何気ない粋」の世界を歩んだ人だった。寄席というのは演者と客が一体となって、ひとつの世界をつくりあげる場であり、そこにぴったりハマるというのは、これはもう芸人としてある意味では極到に行きついたといえる。
晩年、つまり『とんち教室』(NHKラジオ)時代の柳橋しか知らない世代には、新作ものか軽い落としの噺の人、という印象が濃いだろう。しかし実際には“古典”もきっちりできたわけで、「お見立て」などにその片鱗がうかがえる。リズミカルで明るく、それでいて品格を失うことのない語り口は、やはり器の大きさだろう。
“顔だけで笑わせる”という評価はたしかに一面をついていた。噺にはいる前にまず一笑いある。しかし、それが彼の芸にとってマイナスだったかといえば、そうともいいきれない。作家・有崎勉が落語家・柳家金語樓に求めたものは、何よりも理屈抜きの“爆笑”だったと考えられるからだ。