2004年3月24日発売
流行をすぐに取り入れるかと思うと、意外なことろで古きものにこだわったり、いかにも明治の人らしい。ドスの利いた言い回しから一転、ホロリとさせる調子の巧さは金馬ならではの味。「夢金」の江戸情緒あふれる描写は、江戸好きにはこたえられない。
淡泊というか、派手さのない芸だが、これが江戸風だなと思わせる可楽。「反魂香」の芝居がかった高尾太夫との逢瀬とその後の展開の落差がいい。ちょいと口調が明解ではないひとだったが、病後の高座での「寝床」はゆったりしたテンポで妙に哀しげだ。
明るい色気の藝風は、江戸の面影を残した古き良き東京の最後の噺家と言える。洒落・粋の感覚は絶品で、一時期、幇間を経験したところから培われたものだろう。今回は幇間ものは収録されていないが、軽妙な語り口の爆笑ものでこの人の味を堪能できる。
明治31年生まれの今輔の最晩年の放送録音で、それぞれ70年と69年の収録。明治の親の子を思いやる人情の機微をおもしろおかしく聞かせる。さっぱりとした語り口のモダンなスタイルが楽しい。(2)は『五杓酒』の別名を持つ人間の恐さを描いた怪談調。
晩年はテレビ・タレントになってしまったが、新作落語の中興の祖としてもっと評価されていいだろう。“昭和の人情噺”「ラーメン屋」(今輔)は落語ファン必聴。「問わず語り」は1972年5月NHK-TVで放送されたもので、芸談がとても興味深い。
昭和30年代前半にラジオで落語を聴き始めた世代にとって、柳橋という噺家は大看板であるとは分かっていても、興奮させてくれる存在ではなくなっていた。遥か昔に出来上がってしまった人というイメージだったのだ。全盛期の高座に接してみたかった。
本郷生まれの助六は一時大阪にいたようだが、その山の手口調の品のよさが噺を妙に落ちついた雰囲気のものにしている。気の短い大工を演じる「長短」にはクスクスしてしまう。70年の録音。「片棒」は72年の録音でこれも妙に艶っぽく聞かせている。
東京風の上方落語を東京の高座で演じていた京都出身の小南。京と大阪を往復する三十石船を舞台にした「三十石」では、さすが京都出身の小南ならではの風情がかもし出されていく。「りんきの独楽」の調子のよい語り口調につい引き込まれてしまう。
大正から昭和の戦後にかけて東京で活躍した大阪落語の百生は、ダウンタウンの浜ちゃんと口調が似ているのにびっくり。64年に亡くなっているので初めて聞く方も多いのでは。典型的な大阪噺である「船弁慶」を東京でここまでやれた人がいたとは。
もちろん先代の金馬であり、どれも完成された噺なので何度もこれまでくりかえし楽しんできた録音。ゴリゴリの人情も交流するとフニャっとなるのがやたらとおもしろい。「ヤカン」の御隠居型の人に出会うとホッとするのは、落語からの恩だと確信している。
東京本郷生まれの江戸っ子だけあって口調がいい。もったりとした調子と軽い調子とが見事にブレンドされて、とてもいい味を出している。柳橋はNHKのラジオ『とんち教室』などで一般にも有名になった人だが、実力のほどはこの1枚で十分にうかがえる。
彦六の正蔵といえば怪談噺の名人ということで「牡丹灯篭手提」はもちろん聴きものだが、ここでは平岩弓枝作「笠と赤い風車」が興味深い。新作にも意欲的だったこの人の、明治生まれのモダンな感覚が伝わってくる。こういう個性のある噺家が懐かしい。
昭和57年に54歳で急逝。それが未だに悔やまれている馬生だ。しっかりとした構成、流れるような噺の運びに定評があり、なにより気品のある語り口と思いやりに溢れた人物表現では、他の追随を許さない。笑いながら人の世のやさしさをふと感じる、そんな芸風である。人形浄瑠璃でもよく取り扱われるテーマだが、使用人と主人の娘の悲恋をめぐる「おせつ徳三郎」が実に圧巻。
いかにも明治の人らしく、枯れた芸風が古き良き寄席の空気を伝えてくれる。落語界きっての踊りの名人としても知られ、その素養に裏打ちされた所作の美しさが目に浮かぶ。芝居が日常生活から縁遠くなった昨今、「七段目」の面白さがどこまで通じるか……。