2004年3月24日発売
先代が高名すぎてワリをくった感じもあるが、個性的な語り口は一時代を築いた存在だ。酔っぱらいを演じると、なんともすごみがある。「らくだ」の久六、「富久」の久蔵などの酒乱ぶりは、例えば文楽演じる久蔵の明るい酔っぱらいぶりとは好対照である。
「青菜」のダンナにも「天災」の紅羅坊名丸を感じてしまう。これはきっと、柳橋の語り口がどこか、横町の心理学の先生みたいだからだろう。もしかすると『とんち教室』の影響もあって、そう思ったのかもしれない。「子別れ」は“上”に力点を置いて演じる。
「正蔵」の名で30年間活躍したのち改めて、初代「彦六」となった師の創作のもと、独特の人情ばなしが3つ。笑いをねらった内容でも話芸でもないが、この語り口と心情もって演じられると、その場の光景すら眼前に浮かび、胸をうつ。イイネェ…渋くて、名演だ。
明るさ、華やかさを持った芸は、良き時代の寄席の味を伝えてくれた。「味噌蔵」での酒盛りの場面、「野ざらし」の向島大騒ぎのオンマツなど、この人の軽妙洒脱な語り口は、さすが江戸っ子しかも元幇間。こういうタイプの落語家はもう出てこないんだろうな。
古典演目で修行を積んだあと、新作落語で芸道をきり開いていった今輔師。ここで聞かれるのは、いずれも師の口調や動作を念頭において書かれた代表作だけに、実にいい味している。師の枕からは、その時代が読めるし、十八番の「おばあさんもの」もさすが!
昭和36年と34年の録音だから、どちらも倒れる前のもので、師の見事な、計算を超えた芸、演技を超えた術が楽しめます。どちらかと言えば、やっぱり(1)でしょうか。とにかく遊女物はうまい。客との絡みが“まんま”なんであるね。やらせがない。えらい。
どこまでとぼけているんだかよく分からないというシトで、ラジオは良く聴いて笑ってましたが、改めて聴いてみると、なんとものんびりしたテンポと間の取り方が、今は確実に昔の世界になってしまっている。時代を超えるということはなかなか難しい。