著者 : 仁田義男
徳川吉宗、幼名源六は、行倒れを救われた娘を母として貞享元年(1684)に生まれた。父は和歌山藩五十五万石当主光貞。既に綱教、頼職があったが、二兄が相次ぎ病死、二十二歳で紀州家をついだ。一方、六代将軍家宣は次期将軍に御三家筆頭尾州徳川家第四代吉通を望むが、翌年、吉通が突然死。家宣をついだ嗣子家継も三年後麻疹をこじらせて衰弱死、ついに吉宗が将軍の座に。会心の書下し長篇歴史小説。
柳生石舟斎に討たれた影丸、霧丸の忘れ形見萩丸は、肥前唐津で成人した。長ずるにつれ剣の奥義極め、やがて柳生の里へ。だが宿敵石舟斎はすでに他界。萩丸の怨情は嫡子宗矩に向けられた。江戸へ出た萩丸は、二代将軍秀忠の剣術指南を務める宗矩に、果たし合いを挑んだ。柳生新陰流の一閃に、萩丸の秘剣〈松の葉〉は…。
眼前に、三十余名の敵がいた。一刀斎をぐるりと取り囲んでいた。殺気をみなぎらしている。多数をたのんでいた。強敵と見たのであろうか、直ちに打ちかかろうとはしない。燦々とふりそそぐ陽光のもと、一刀斎は、キラリ、軽く腰をひねって愛刀・一文字を抜いた。余裕を覚えた。一刀斎の眼は、おのれを取り囲んだ敵の背後の緑の山なみを見ていた。〈見山〉を試みるときだった。書下し剣豪小説第三弾。
天正7年伊藤一刀斎は堺にいた。茶の湯の宗匠・津田宗及と相識り、招かれて夕玄庵に滞在、茶道で言う「一期一会」のなかに剣の極意がひそむのを感得し、新たなる境地を拓いた。剣に生きるものの宿命か、無眼流、反町無角に挑戦を受けた。愛刀一文字は水のように流れ、無角を真っ二つに斬り捨てていた。一刀斎は、その剣に「払捨刀」と名づけた。戦国の世を往く剣聖を描く書下し剣豪小説。
流人の子、罪の子よと囁かれ、うしろ指をさされて成人した伊藤弥五郎は、新天地を求め、父の形見の木刀を背に、大島から伊豆半島へと泳ぎ渡った。背丈高く、筋肉は隆々とし、15歳とは見えぬ弥五郎だが、飢えと疲労のあまり倒れてしまった。だが、三島神社宮司の矢田部伊織に救われ、その庇護のもと、剣の修行にすごす弥五郎の前に、異形の剣士李八官が立ちはだかった。雄渾な筆致で描く書下し剣豪小説。
万延元年3月3日。「桜田門の変」で大老井伊直弼が暗殺された。だが、翌4日に将軍上使より見舞の品が下賜された。井伊家が即刻大老の死を公表できない理由とは。大老の首をめぐる秘話を風刺的に描いた表題作。(大老の首)“人斬り以蔵”として知られた幕末の暗殺者岡田以蔵は、姉小路公知暗殺の容疑で捕われる。土佐で待ちうける以蔵の運命は?(暗殺の腑)他に独自の視点で描いた6編を収録。