著者 : 佐治芳彦
昭和18年10月8日、アメリカによる一方的な対日最後通牒の期限が切れた。開戦日の午前4時、ハワイ・オアフ島の真珠湾基地30キロの海域に4隻の潜水艦が浮上した。同じ頃、角田覚治率いる遊撃隊はミッドウェー北方200キロにあった…。壮大なスケールで描く「あり得たもうひとつの現代史」を追うスペキューレーション“思考実験”戦史、第2巻。
連合艦隊司令長官に就任した山本五十六大将が断行した破格の人事。海軍伝統の先任序列制を無視し、山口多聞少将を第一航空艦隊のトップへと抜擢した。それは、特進人事をしぶる海軍省や軍令部を怒鳴りつけてまで行なった山本の快挙であった。欧州大戦への参戦をもくろむアメリカは、日米開戦を口火として、ヨーロッパを席巻するドイツへ宣戦布告するつもりでいる。満を持すルーズベルト大統領の狡猾な笑い顔。(向こうがその気であれば、開戦時期はこちらの機を逸してはならない)山本は唇を強く噛むと、駐米大使野村吉三郎の思慮深い顔を思い出した。彼よりもたらされた密書から、すべては始まったのである。新たな顔と新たな戦略で臨む「もう一つの太平洋戦争」の行く末は。
新潟県と山形県の境界にある飯豊連峰の山荘で二人の男が向かいあって談笑していた。一人は、山荘の所有者である伝説的存在の天才相場師・山口省三。もう一人は、東大法学部の気鋭の助教授・中河英輔。この中河は、昭和陸軍最高の戦略家といわれる石原莞爾のただ一人の「孫」であった。二人の間の話題は、戦前の日本を破局に追い込んだ最大の原因をめぐってだった…。平成13年12月8日、特別国会が召集された国会議事堂に40名の武装集団が突入、たちまちにして議場の制圧に成功した。それは中河英輔をリーダーとする「クーデター」であり、体制変革をめざす「維新政権」の誕生だった。壮大なスケールで新世紀における日本の在り方を問う「世界最終戦争」新シリーズ開幕。
ポートモレスビー占領の成功によって、オーストラリアからの南方資源地帯への空爆の恐れがなくなる-日米戦争は転機を迎えた。そして、残るはインド洋だ。闘将有馬正文率いる機動部隊が、コロンボ襲撃に成功する。しかし、大英帝国の威信を背負ったイギリス東洋艦隊が、その行く手を待ち受けていた。昭和21年7月、朝焼けのインド洋で、日英双方とも相手の艦隊を発見。日本側から、180機の編隊が飛び立つ。その10分後、イギリスの攻撃隊170機も飛び立った。高空での接触を皮切りに、戦いの火ぶたは切られた!日英両艦隊の運命、そして、世界の運命は。
昭和18年10月8日午前0時-アメリカによる一方的な対日最後通牒の期限が切れた。日米両国は、ついに戦争状態に突入した。開戦日の午前4時に、ハワイ・オアフ島の真珠湾基地30キロの海域で4隻の潜水艦が一斉に浮上した。それは、日本海軍の奇襲作戦を実行する秘密部隊=01遊撃隊の先遣隊だった。各艦から艦対地ミサイルが発射され、真珠湾基地は火焔地獄と化した…。同じ頃、角田覚治率いる遊撃隊本隊は、ミッドウェー北方200キロにあった。装甲空母「白鶴」より発進した70機の攻撃隊により、ミッドウェーのアメリカ航空勢力は壊滅…。米太平洋艦隊は無力化され、ルーズベルト大統領の焦りは強まる。さらに、ハワイに向かう大輸送船団に、日本潜水艦隊の雷撃が迫る。