著者 : 南富鎭
北海道文学の神髄と始原が明らかになる。 《挽歌》とは誰の死を悼むものだろうか。 原田康子文学を「喪失の文学」「喪の文学」として捉えつつ、《挽歌》の歴史的な意義を明らかにし、喪失と成熟の枠組みから北海道文学の新たな構築を試みる。 はたして北海道文学は可能であろうか。 序章 終焉と出発、喪失と成熟 第1節 問題提起 第2節 札幌をめぐる二つの風景 第1章 原田文学の誕生と形成 第1節 原田康子の習作期 第2節 初期作品の特徴ーー原田文学の出発、『北方文芸』の三作 第3節 習作期、初期、風土性 第2章 喪失の時代 第1節 『北海文学』の諸作 第2節 短編集『サビタの記憶』--『挽歌』の協和音 第3章 挽歌四部作 第1節 『廃園』--庭の荒廃、希死観念、廃墟の跡 第2節 『挽歌』--戦後風景、喪の儀式、新旧の交替 第3節 『輪唱』--血筋、疑似家族、高台の終焉 第4節 『病める丘』--丘の病、旧時代の終焉、丘の終焉 第4章 喪失の果て 第1節 『殺人者』、『素直な容疑者』、『満月』--推理小説、幻想小説 第2節 『望郷』、『北の森』、『星から来た』、『日曜日の白い雲』--病の深化 第3節 『虹』、『星の岬』--虹の象徴性、星の隠喩 第5章 喪の終焉、自己史の再構築 第1節 『聖母の鏡』--自我像の鏡化、再生への芽生え 第2節 『海霧』--過去記憶、原点回帰、癒しの到来 終章 喪の文学、北海道文学の始源 あとがき/索引
“忘れられた”世界的作家の珠玉文学選 張赫宙は、かつては、魯迅と相並ぶ、アジアを代表する作家と称された。しかし、植民地期朝鮮の作家として日本語で活躍したため、張の文学は戦後社会に帰属先を失い、長い間、漂流してきた。現在、多文化、多言語における「近代」の急速な見直しが進められるなか、「世界文学」としてその作品は再び注目されはじめている。本書は、代表作「仁王洞時代」をはじめ、文学的な価値が高いものを中心に珠玉の短編を編む。 本書の特徴 1:張赫宙の主要作や代表作のうち、前著の『張赫宙日本語作品選』(勉誠出版)に漏れ、戦後において再刊・再録されることがなかった作品を取り上げ、張赫宙文学をより幅広く紹介することを意図した。 2:商業的目的や政治的意図からの選別ではなく、文学的に完成度の高い作品を取り上げ、全体が俯瞰できるように意図した。 3:張赫宙文学には植民地期の実態や実生活を知る資料的な性質の作品が多い。この点も編集の上で考慮した。 4:本書で紹介する作品は1934年から1941年の夏に至るまでのものである。張赫宙が朝鮮大邱で旺盛な作家活動をし、日本に移住して懊悩し、太平洋戦争の渦に巻き込まれる直前までの作品である。