著者 : 葛川篤
■注意事項 本書は、1930年代に翻訳されたヴァージニア・ウルフ『灯台へ』日本初訳の復刊書です。 全訳ではなく第2部・第3部のみの抄訳で、本文には異体字・旧仮名遣いが多く含まれます。 復刊にあたり、編者の判断でルビや注を附しています。 ■推薦コメント 100年前『灯台へ』と、ひとり船出した早逝の詩人がいた! 忘れられた翻訳が海神のように甦る。 テンポ、リズム、緻密で洗練された語彙。 輝ける訳業に心揺さぶられます。 日本にウルフ文学をもたらした葛川訳の発掘! *森山恵(詩人・翻訳家) もっと長くここにいたい、この翻訳に終わってほしくない。一行ごとに扉がひらき、百年前の日本語が燈台の光を点滅させる。 「あ ここにゐたのだつけ」 ーー私の意識の波打ち際に、誰のものかわからない記憶が押し寄せてくる。 *斎藤真理子(韓国文学翻訳家) ■内容紹介 20世紀モダニズム、そしてフェミニズムを象徴する作家であるヴァージニア・ウルフ。1927年にその代表作『灯台へ』が刊行されてからわずか4年後に、日本で初めて翻訳されたテキストを復刊しました。 訳者は葛川篤(くずかわ・あつし)。銀行員として働きながら、伊藤整や春山行夫といった昭和モダニズム文学の牽引者とともに翻訳に取り組み、32歳で病死しました。 舞台は20世紀前半のスコットランドの、とある海辺の別荘。哲学者のラムジー夫妻と8人の子どもたちのもとへ、賑やかな来客が訪ねてきます。語りの視点が目まぐるしく移り変わり、かれらの動きや考え、思い出を次々と描く手法は、文章芸術史においては「意識の流れ」と呼ばれ、高く評価されてきました。 葛川篤が訳したのは、第二部「時は過ぎ行く」と第三部「燈台」です。第一部から10年という歳月が経ち、ラムジー夫人が亡くなったあと、残された父ラムジー氏と子供たちが「灯台」へたどり着くまでの顛末が語られます。奇抜なエピソードや驚くべき事件はほとんど起きないにも関わらず、まるで私たち読者に過ぎ去る時間の豊かさを追体験させてくれるかのような作品です。 葛川篤は、伊藤整や春山行夫らとともに、『詩と詩論』『新文学』などの雑誌を自主制作し、数多くの小説・詩歌・戯曲・評論を翻訳していました。かれらは、インターネットや機械翻訳どころか、テレビや電話、飛行機さえ広まっていなかった時代に、海外の先端的なクリエイターを日本へ熱心に紹介しようとした「ベンチャー精神」の持ち主だったのかもしれません。そんな葛川の手がけた訳文(第2部、第3部)に加え、英文学者・小川公代さんによる解説文、文献調査にもとづく編者解説・年譜を収録しました。 ■目次 編者まえがき……小澤みゆき 第二部 時は流れゆく 第三部 燈台 解説……小川公代 編者解説……小澤みゆき 葛川篤年譜 ■書誌 著者:ヴァージニア・ウルフ 訳者:葛川篤 編者:小澤みゆき 企画・編集協力:笠井康平 解説:小川公代 推薦:森山恵、斎藤真理子 装幀・組版:太田知也 校正(「解説」「葛川篤年譜」):サワラギ校正部 ページ数:190ページ 判型:四六判並製 ■著者・訳者・編者紹介 ヴァージニア・ウルフ(1882-1941) イギリス・ロンドン生まれ。20世紀の世界文学を代表する作家。文芸批評や伝記で知られる知識人レズリー・スティーヴンを父に持ち、幼い頃から文学や音楽に親しむ。両親の死後、のちに「ブルームズベリー・グループ」と呼ばれる文化集団を兄弟姉妹やその友人たちとともに結成する。1912年にグループの仲間であるレナード・ウルフと結婚後、33歳で作家デビューし、「意識の流れ」を駆使したモダニズム作家として注目される。主著に『ダロウェイ夫人』(1925)、『灯台へ』(1927)、『波』(1931)などがある。小説のほかに『自分ひとりの部屋』(1929)『三ギニー』(1938)をはじめとする評論・エッセイでも知られる。1917年にはレナードとともに出版社「ホガース・プレス」を立ち上げた。心の病に生涯苦しみ、第2次世界大戦中に入水自殺で亡くなった。 葛川篤(1906-1938) 秋田県出身。東京商科大学(現:一橋大学)の本科在籍中に文芸同人誌「一橋文藝」の立ち上げに参加。ヴェルレーヌやエドガー・アラン・ポー、スタンダールなどを精力的に訳した。卒業後は、川崎貯蓄銀行に勤めながら、「詩と詩論」「新文學研究」などで、英語・フランス語圏の小説、評論を翻訳した。日本初訳となるヴァージニア・ウルフ『灯台へ』抄訳(1930-1931)のほか、プルースト『失われた時を求めて』(部分訳、1930-1931)や、アンドレ・ジッド『贋金づくり』(伊藤整との共訳、1935)なども手がけた。20代後半より結核を患い、秋田市内で療養中に32歳の生涯を閉じた。