徳川家康(20)
江戸に幕府を開いた家康の封建政治はようやく人々の理解を得て根づくかに見えた。日本は世界一の進歩国として世界に知られ,国内では秀忠に嫡子竹千代が生まれて徳川の基礎も固まった、と思われた。が、次期政権を望む淀君と秀頼にとっては竹千代出生は大きな不安の種となり、再び乱世のきざしが。
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秀頼の誕生は新たな権力争いの種となり、関白秀次の自刃とその妻妾三十余人の斬殺という悲劇を招いた。一方、伏見大地震の混乱の中で迎えた明の講和使節が、実は無礼きわまる冊封使だとわかると、秀吉は烈火のごとく怒り朝鮮再征の令を下す。そして、再征の結着もみないまま一代の太陽児は波乱の生涯を閉じる。 1988/02/01 発売
太閤秀吉の死後には難題が山積していた。朝鮮からの撤兵用船舶の不足、日ましにつのる武断派武将と文治派吏将の対立、そして秀頼の母公淀君の頑迷と我執…。秀吉に後事を托された家康の使命は重い。と、そこに降ってわく“家康に異心あり!”の噂。はたして噂を流す石田三成の敵意はなにゆえか? 1988/02/01 発売
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