小説むすび | 太郎物語

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【POD】三太郎物語【POD】三太郎物語

林真太郎、加藤健太郎、佐久間遼太郎は昭和59年5月5日林総合病院で生まれる。同日に生まれた3人は父親達が親友であることから、遊んだり、勉強したりと一緒に行動することが多く、いつも一緒にいた。その名前にも起因し、3人の太郎を取って周りの人達から三太郎と呼ばれていた。親同志の勧めもあり、小学校に入った頃から松樹会で空手を始めた。三太郎が中学生になり、学校の授業に不満を持ち、松樹会の館長の松井にそのことを相談したところ、門下に東大に入学し、司法試験の勉強をしている井田を紹介される。三太郎は親に頼み家庭教師を雇って貰うことにした。井田の指導は空手、学校の勉強と厳しく行われた。三太郎はそれに喰らいつき中学生にして高校生レベルの学力を身に着け、空手においても、松樹会の全国大会中学生の部において常に優勝を争うまでの実力に達した。そんな時、世田谷区立第7中学校においていじめによる不登校の問題が発生した。この問題を三太郎は井田に相談し解決すべくアドバイスを受けた。それは父親である医師の真一郎や弁護士の隆に相談して適切な判断を仰ぐと言うものだった。医師の診断書を持ち学校に行った三太郎は学年主任の尾形に相談し診断書を渡す。そのことにより、学校が解決に向け動き出した。それは弁護士や医師の専門家の意見を受け入れた判断だった。周囲の協力もあり、いじめ問題も解決し、三太郎は高校受験へと突入する。青陵国際高校に入学した三太郎は東大を目指し、真太郎は医学部、健太郎は法学部、遼太郎は経済学部にむけ努力する。青陵国際高校は学校の方針変更により進学校化を図ろうと努力するが他の有名進学校と異なる特徴が出せず、経営状態は悪化の一途を辿っていた。校長に世田谷第7中学を定年した長岡を迎えたことにより、同校に同中出身の三太郎が在籍することを知っていた長岡は校外アドバイザーとして、三太郎の父親の真一郎、隆、幸太郎を招いた。 3人の協力を得て、専門性を持った進学校となることができた。また、世田谷中学時代の尾形、斉藤を引き抜き、体育科の創設、英語教育の徹底を図り、米国大学留学への窓口を開いた。これらのことにより、入学希望者数が増加し経営危機を脱することができた。三太郎は東大に入学し、健太郎は司法試験、遼太郎は税理士試験、公認会計士2次試験と突破する。真太郎も医学部を卒業し、医師国家試験に合格し、大学病院と大学院で研究を行う。しかし、研究に行き詰まりを感じ米国留学を希望し、米国にて最新技術を学ぶべく渡米した。こうして三太郎が一人一人大人として成長していった。 2023/10/17 発売

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