爆心
私がだれでありどこからきたのか、六十年以上の時が流れて私にはもう調べるすべもない。わかっているのは私は昭和二十年八月九日十一時二分の白い光の中から現れたことだけである。私の戸籍上の誕生日はその日になっている(「鳥」)。被爆地で生きる人々の原体験と、その後の日常を描く作品集。
私がだれでありどこからきたのか、六十年以上の時が流れて私にはもう調べるすべもない。わかっているのは私は昭和二十年八月九日十一時二分の白い光の中から現れたことだけである。私の戸籍上の誕生日はその日になっている(「鳥」)。被爆地で生きる人々の原体験と、その後の日常を描く作品集。