出版社 : 静人舎
現代のドイツと江戸時代の日本が時空を超えた一点で結びつく。本書はピルニッツ宮庭園の温室で毎年冬になると見事な花を咲かせる、印象的な椿の大木の物語。スウェーデンの植物学者で医師のカール・ピーター・トゥーンベリーは、かつて長崎の人工島・出島を訪れた。そこは18世紀日本とオランダとの唯一の通商窓口であった。オランダ東インド会社商館長とともに将軍拝謁のため、彼は長崎から江戸に向かった。滞在中、近代西洋医学の知識や最新の知見に興味を持つ多くの日本人が彼を訪ねて来た。しかし彼は、アムステルダムの教授ヨハネス・ブュルマンから、4本の椿をヨーロッパに持ち帰るという秘密の使命を帯びていた。大通詞の吉雄幸作は、彼がこの使命を果たすために助力する。(本書は、2012年万来舎刊『安永の椿』の英訳版) Prologue 1. Carl Linnaeus 2. Johannes Burman 3. Engelbert Kaempfer 4. Africa 5. Japan 6. Journey to the capital Edo 7. Whereabouts of the Camellias Epilogue
昭和20年、敗戦で一変する平穏な生活── 十月出産予定の身重のカホルは、六、四、二歳の三人の子どもを連れて、夫は肺炎で入院中の八歳の長男に付き添い、ソ蒙軍から逃れて引揚列車で張家口を脱出する。敗戦から5日目の夜である。飢えや渇きに苦しみ寒さに震え、時には銃声におののきながらの逃避行だ。過酷な環境の中で、時には死とも向き合う。 本書は、著者の母・カホルが、戦時下の中国から幼馴染のヨシエに送った十六通の手紙をもとにした物語である。 「私にとっては、この手紙を手にすることで、やっと〈終戦〉と〈戦後の苦しい生活〉の終了を迎えたような気がしました」(「はじめに」より) 一章 旅立ち 二章 北京からの手紙 三章 張家口からの手紙 四章 終戦 五章 引揚げ 六章 収容所暮らし 七章 帰国の途に 八章 帰国 〈資料〉中国国民政府・蒋介石総統の終戦メッセージ「以徳報怨」
1970年代と80年代の東京を背景に、女性との関係を主軸に据え、主人公の知的遍歴、読書と研究の体験を重層的に織り交ぜた小説二篇。「聖処女讃歌」は吉行淳之介の『夕暮まで』を、「鷹の台の黄昏」は田山花袋の『蒲団』を彷彿とさせるものがあり、作者森魚名のダンディズム、「やさしさ」、廉直さがよく表れ、欲望を無理やり発動しない、積極的に対象と関わろうとしないナルシシズム、オナニズム、あるいは孤独なエゴイズムと表裏一体となった物語となっている。作中に「窃視」という言葉も自己言及的に使われているように、この2篇は自分史の体裁をとった「孤独な窃視者の夢想」でもある。 鷹の台の黄昏 聖処女讃歌★ヴァージン・ブルース 自分史を仮構する・森魚名論(谷川渥)
十八歳で奥飛驒の高校を出て上京するとき、「自分でいいと思う道を歩け」と告げた母の言葉を胸に故郷を後にした私。「道」を探しあぐねている私が立ち寄った書店で、たまたま手にした文学雑誌で読んだのが佐藤春夫の短編小説「友情」だった。不思議な奇縁で佐藤春夫に師事するも、作家ではなく新聞記者への道に進み世界を渡り歩くことになる。記者時代に母から送られてきたひらがなの「手紙」を読み、自らの人生を振り返る「命のかぎり」。 若き日に一瞬出会い過ぎ去った女性からの手紙に、思い返す「あの日」のこと。 二通の手紙に導かれるように来し方を振り返り綴られた2篇の私小説。 命のかぎり 老女
人はどこから来てどこへ行くのかーイースター島のモアイ像が、満天の星空の下、人類永遠の謎を解き明かす。ストーリーテラー井上卓也、3年ぶりの奇想天外なファンタジーノベル。
「部長職を解き調査役を命ずる」という四月一日付の辞令を受けた主人公は、その日から机の配置も変わり部下のいない社員、いわゆる窓際族になった。しかし社内の権力闘争から再び表舞台へ上がるが…。権力闘争に巻き込まれるも同僚への思い遣りの心を大切にし、「義を見て為ざるは勇無きなり」と義わ貫く主人公の生き方は、聖書の言葉「日は昇り、日は沈みあえぎ戻り、また昇る」のごとく転変を繰り返す。本作品は、組織の掟と、義や情の間に揺れ動き翻弄されながらも、「人間としてやるべきことは何か」を貫いた一人の男の再生の物語だが、定年後の人生をどう生きるかーという、誰もが抱える後半生の大きなテーマに光を当てた物語でもある。