1990年8月3日発売
親鸞(一)親鸞(一)
義経が牛若といって鞍馬にあったころ、同じ源氏の血をうけて、十八公麿(後の親鸞)は生れた。平家全盛の世である。落ちぶれ藤家の倅として育った彼は、平家一門のだだっ子寿童丸の思うままの乱暴をうけた。彼は親鸞に生涯つきまとう悪鬼である。9歳で得度を許された親鸞の最初の法名は範宴。師の慈円僧正が新座主となる叡山へのぼった範宴を待っていたのは、俗界以上の汚濁であった。
親鸞(二)親鸞(二)
大盗天城四郎の魔手から、玉日姫をふりほどいたのは、範宴である。そして、その日から範宴はもの想う人となった。甘ずっぱい春の香りは、払えども払えども、範宴を包む。禁断の珠を抱いて、範宴はみずからおののく。京の夜を煩悩に迷い狂う範宴、追い討つように、山伏弁円は彼に戦いを挑む。信仰の迷いに疲れた範宴は、このとき法然を知る。奇しき法然との出会い。親鸞の大転機であった。
新書太閤記(十)新書太閤記(十)
信長の死後一年、めまぐるしい情勢の変化だった。しかし、賎ケ岳の一戦をもって、信長の衣鉢はすべて、秀吉に継承されたといっていい。ただ一人、秀吉には強敵が残った。海道一の弓取り家康である。その家康も名器“初花”を秀吉に献じて戦勝を祝した。だが、秀吉の天下経営に不満を抱く信長の次子・信雄は、家康と結び、秀吉に真っ向から敵対する。かくて小牧山に戦端が開かれる。
新書太閤記(十一)新書太閤記(十一)
山崎、賎ケ岳の合戦と、破竹の勢いで進んできた秀吉軍が、たとえ一部隊にせよ、長久手で家康軍に完敗したことは、今後の戦局、いや政局に、微妙な翳を落さずにはおかない。秀吉には苦汁を、家康には遅まきの美酒を。家康の不撓不屈の闘志と、秀吉の天才的なヨミが、激突する。そして秀吉が一歩先を制した。長らく信長の陰に隠れていた秀吉の“力”がここに全容をみせるのである。
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