制作・出演 : レナード・バーンスタイン
ニューヨーク・フィルを自在に操ってキラキラと輝いていた時代のバーンスタインの記録の復活であり、内容価格共にお買い得の1枚。作曲家らしく分類整理の行き届いた気持ちの良い演奏で、それ故に発売当初は評価されなかったものの、今でも実に新鮮。
通称「スコッチ」と呼ばれる第3番だが、ここでのレニーの演奏はどちらかというと濃厚な古酒(むろん日本酒の)の味わい。感情過多傾向が強いので趣味は分かれそうだ。「イタリア」は切れのいいリズムが炸裂する大熱演。ただ当時のニューヨークpo.の木管は荒削り。
バーンスタインは、アメリカの音楽家からヨーロッパ公認の音楽家に近づくに従って音楽が肉体性を失い、どんどん作り物めいていった。「火の鳥」の荒っぽいダイナミズムの魅力に較べて、「春の祭典」は、え? なんで? という瞬間にしばしば戸惑わされる。
ローマ3部作のうち、「祭」と「噴水」は、T.トーマスの演奏。「松」はバーンスタインの演奏。華麗で色彩的なレスピーギのオーケストレーションに対するアプローチが聴き比べられて面白い。オケもそれぞれ好演だが、特に、詩的な「松」に魅了される。
(1)はバーンスタインがモスクワで、同曲の演奏を作曲家に賞賛されたのと同じ年の録音。すっきりとした進行の中に強い緊張感をはらんだ、引き締まった演奏だ。(2)は快活な両端楽章と、古典的な要素を巧妙に取り入れた中間楽章とが鮮やかな対比を成している。
昔のようにあけっぴろげに音楽を謳歌したいような、さりとて神秘や情念にもハマッてみたいような、バーンスタインのこの時期の演奏には、そうした傾向のものが目につく。曲のテンポや持ち味に関係なく、揺れる(悩める?)男心が現れているのが特徴。
60年代半ばの演奏。80年代のウィーン・フィルとの録音がウィーン流のスタイルをとり入れたものであったのに対し、この演奏は正に「バーンスタイン流のモーツァルト」。特に40番の終楽章にバーンスタインのモーツァルト解釈の原型を聴く思いがする。
オーマンディの演奏はことさら深刻でもないし思索的でもないけれど、だからといって底の浅い音楽ではない。音楽のあるべき響き方を求め続けた指揮者といえる。「英雄」の正当的な表現にそれがよく表われている。バーンスタインの「レオノーレ」も鮮烈。
バーンスタインがフランス国立oを指揮した近代フランス作品。(2)の色彩感と躍動感は期待したほど派手ではないが管楽器の音色が際立ち、十分魅力的。同じフランスものながら後半のオーマンディが持つオーソドックスなカラーとの対照性が面白い。
感傷的な表現を払拭し、キリッと引き締まった棒さばきから生まれるメロディがフレッシュ。60年代の初め、バーンスタインが古典派やロマン派の音楽に、次々を新風を吹き込んでいた頃の「未完成」。晩年の演奏にはない透明感やみずみずしさが魅力だ。