1996年10月23日発売
夏木マリのサード・アルバムのCD化だが、Q盤は旧盤の感あり。彼女の歌も青いし、演奏もチープ。ロック系が多いカヴァー・アルバムなのだが、リズムはあってもビートがない。演奏のせいなのか、録音技術のせいなのか。古さを楽しむには、いいかも。
ジャケットの眉剃り顔が怖い夏木マリ、セクシー時代のベストもの。『九月のマリー』など、現在のゴージャスな夏木マリもいいけど、この時代も捨て難くヨイのだ。川口真作編曲の(3)(8)(10)のグルーヴ感と(11)〜(14)といったカマトトソングの違和感が大きな聴きどころ。
“瀬名”が“南”のために弾く……すっかりハマったドラマで、しっかりなじんだあのピアノ・サウンドではなく、このアルバムに聴けるのは別の語りかけ。角聖子の弾くピアノはむしろ力強くて、優しさというよりは闘い、挑みかけるかのように主張する♪の粒たち。
ノイズ・ギターに情感あるメロディを乗せ、往年のジーザス&メリーチェインからダイナソーJr.みたいな、アナクロ的な部分も一部窺えるが、日本語の歌詞を大切にし、ヴォーカルを前面に配置することで、純粋さと弛緩が同居したような独特の空気を生む。
大名作『レッツ・ゴー・エレキ節』に続く邦楽エレキ化アルバム。いきなりの「勧進帳」の豪快な仕儀はお座敷のエレキ化ともいうべき寺内流デラックス弁当的てんこもりのうたげであり人情の交流の中で堂々と「俺は寺内、エレキの王だ」と言い放つ名作。
テリーの“日本”への傾倒は、かの「津軽じょんがら」を持ち出すまでもなく、よく知られているが、これは72年の作品。芥川龍之介の『羅生門』をテーマにしたオリジナル(1)のほか、古き日本のメロディがエレキ・サウンドで再現され、生まれ変わっている。
72年のこのアルバムを制作当時、寺内タケシは中国を実際訪れたことがなかったそう。国際情勢的に言って当然の話だが、34年後の今、不思議と音のイメージにズレがないのは、さすがエレキの神様、血圧の高さに相通ずるものがあったのか。妄想力勝利の1枚。
チェット・アトキンスの作品を連想させるような多重録音ソロ・アルバムの廉価復刻。ジャズ、ポップス、映画主題歌のスタンダードをミューザック風のアレンジでプレイしている。繊細なモズライト・サウンドと絶妙のアーミング・テクニックを堪能できる。