著者 : 三田誠広
仏敵デーヴァダッタ、バラモン教の六師外道との対話に尽くされるブッダの根本思想。宇宙と自我の同一、アラーヤ識などブッダの思索の奥義を窮める積年の労作。 この作品はわたしにとって最後の長篇となるだろう。(…)高校生の時に最初の作品を『文藝』誌に掲載していただいたことから始まって、それから六十年近い年月にわたって小説を書き続けてきた。書くことはわたしの生業ではあったが、同時につねに探究していたのは言葉の限界と、その限界を超えたところにある一種の存在論のごときものであった。人生の最後にその存在論というテーマと向き合えたことに、静かな達成感を覚えている。--「あとがき」より
親鸞の嫡嗣にして義絶された宗門の異端者!造悪無礙など非道に奔る東国の門徒を鎮めるため親鸞の命で下向した嫡嗣善鸞。性信・真仏ら親鸞面授の門弟との確執、忍性・日蓮ら鎌倉仏教の名僧たちとの諍論を経て独自の道を辿る。
『源氏物語』に託された宿望!幼くして安倍晴明の弟子となり卓抜な能力を身に着けた香子=紫式部。皇后彰子と呼応して親政の回復と荘園整理を目指し、四人の娘を四代の天皇の中宮とし皇子を天皇に据えて権勢を極める藤原道長と繰り広げられる宿縁の確執。
東の大国・今川の脅威にさらされつつ、西の新興勢力・織田の人質となって成長した少年時代。秀吉の命によって関八州に移封されながら、関ヶ原の戦いを経て征夷大将軍の座に就いた苦労人の天下人。その生涯と権謀術数を、名手たちの作品で明らかにする。
徳川三代(家康・秀忠・家光)を支え、江戸の繁栄を基礎づけた謎多き僧形の大軍師!比叡山焼き討ちから、三方ヶ原の戦い、本能寺の変、小牧長久手の戦い、関ヶ原の戦いと続く戦国乱世の只中を一〇八歳まで巧妙に生き抜き、江戸二六〇年の太平を構築した無双の傑物が辿る壮大な戦国絵巻。
承久の乱に勝利し、治天の君と称された後鳥羽院らを流罪とした「逆臣」でありながら、たった一枚の肖像画さえ存在しない鎌倉幕府二代執権・北条義時。謎に包まれたその姿を、小説・戯曲・論考から明らかにする。 2022年NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」視聴者必読! 彼は筋を通した。歴史の動きを見誤まらず、一つの、しかし多分に危機を伴うかもしれぬ決定を敢えてした。政治とはそういうものではないだろうか。東国内の主導権争いは政治以前の問題である。が、日本の政治家たちは、いつの時代にも主導権争いに明けくれて、そのことが政治だとさえ思ってしまう。(…)義時がここで西国のトップと取引きせず、御家人の利益をまず前提に考えたところに、私は東国そのものとぴったり密着した彼の姿勢を感じる。ふつう権力を握れば、たちまちそれを支える階層からは遊離してしまうものだが、義時が東国武士団の利害を直接吸いあげることができたところに、彼のすぐれた政治的資質がある。もちろんこれは個人の資質だけの問題ではない。旗揚げから三十年、内部に諸問題を抱えてはいるものの、東国はまだ若い。生命力も溢れているし、自壊作用も起してはいない。その若さが、組織のトップに健康な判断を下させた、ということであろう。(永井路子「承久の嵐 北条義時の場合」より) 海音寺潮五郎「梶原景時」 高橋直樹「悲命に斃る」 岡本綺堂「修禅寺物語」 近松秋江「北条泰時」 永井路子「執念の家譜」 永井路子「承久の嵐 北条義時の場合」 三田誠広「解説 北条義時とは何ものか」
濃密な血の呪縛、中上文学の出発点「岬」(芥川賞)。男と女と日常の不穏な揺らめき「髪の環」。不幸の犠牲で成り立つもの「幸福」。流される僕の挫折と成長「僕って何」(芥川賞)。言葉以前の祈りの異言「ポロポロ」。垢の玉と生死の難問「玉、砕ける」。少年を襲う怪異の空間「遠い座敷」。文学は何を書き試み、如何に表現を切り拓いてきたのか。シリーズ第一巻。
抜きんでた才覚を見込まれ、儒者でありながら右大臣まで上りつめた道真。貴族たちのうごめく野心と、業平と高子らの恋の傍らで、政治家として奔走した劇的な生涯を描く本格歴史小説。
流鏑馬の達人で蹴鞠もこなす、和歌の天才、西行。平安末期のドラマチックな時代の中で、武士として僧侶として歴史の現場に立会い奔走した姿と、待賢門院璋子との恋を描く、待望の歴史小説。