著者 : 今東光
千利休の娘・お吟の胸には、堺の豪商・万代屋宗安に嫁いだ後も、初恋のキリシタン大名・高山右近の俤がひそかに生きつづけていた。やがて離婚したお吟の美貌は、最高権力者・秀吉の関心をひき、その軋轢が、お吟と利休を苛酷な運命の袋小路に引きずりこむ…。戦国の世を生きた薄幸の美女を描き直木賞を受けた名作に、平家滅亡に生涯を賭した僧の生きざまを綴る『弱法師』を加えた本格歴史小説集。
三十有余年に亘る基衡の治世を継いだ三代秀衡は、朝廷より鎮守府将軍を拝命し、名実ともに北方の王者として奥州に君臨した。“一丸の蝦夷”こそが清衡以来の陸奥経営の根幹であり、仏国土の建設にその理想郷を追う秀衡であった。都は公家、武家が相争う権謀術数の坩堝と化し、平氏政権の黄金期を迎えていた。だが秀衡は商人吉次を使い、鞍馬に在った源義朝の遺児牛若丸に触手を伸ばした。歴史巨篇。
磐石の平泉政権にも、時代の激浪は及んだ。栄華を謳う平氏に反旗を翻す策動が各地に胚胎、頼朝決起の報を受けるや、秀衡の諌を振り切って義経は鎌倉へ馳せ上った。源平いずれか、蝦夷政権の存亡を賭けた選択は目睫に迫っていた。一ノ谷、屋島と、義経の迅雷の機略の前に、平氏は西海へ遁走した。だがこの時すでに、義経は平泉に在った義経ではなく、また兄頼朝の疑念も深まりつつあった。巨匠の未完の絶筆。
初代清衡は波瀾の人であった。藤原秀郷(俵藤太)の血を引く父・経清は、蝦夷の娘を娶り、清衡を生した。だが前九年ノ役に義兄・安倍貞任と結んだ父は敗死、母は敵方の清原氏に再嫁した。清衡は父の仇を養父としたことになる。続く後三年ノ役。清原氏に仇を報いた清衡は、藤原氏に復帰し、父、養父双方の遺領をその支配下に置いた。奥州藤原王朝の草創であった。巨匠独創の史観で描く歴史巨篇。
藤原王朝の礎を据えた波瀾の人・清衡に対して、2代基衡は重厚の人であった。父の遺業継ぐ30余年の治政は、王朝隆盛と重なる磐石を誇った。荒む京を逃れ、陸奥に下向した貴顕を迎えて、政体は整い、軍備は拡充された。蝦夷に胚胎する内乱の兆しも間髪をおかず潰された。一丸の奥州王朝に、もはや朝廷からの容喙の余地はなかった。仏国土建設の父の遺志を体現すべく、基衡は仏閣建立に邁進した。歴史巨篇。
元中尊寺貫主の著者が晩年、渾身の筆を揮い、絶筆となった歴史大作。百年余にわたって古代の奥州に君臨し、中尊寺・金色堂に代表される黄金文化を築いた奥州藤原氏の興亡のドラマ。
元中尊寺貫主の著者が晩年、渾身の筆を揮い、絶筆となった歴史大作。百年余にわたって古代の奥州に君臨し、中尊寺・金色堂に代表される黄金文化を築いた奥州藤原氏の興亡のドラマ。
元中尊寺貫主の著者が晩年、渾身の筆を揮い、絶筆となった歴史大作。百年余にわたって古代の奥州に君臨し、中尊寺・金色堂に代表される黄金文化を築いた奥州藤原氏の興亡のドラマ。
元中尊寺貫主の著者が晩年、渾身の筆を揮い、絶筆となった歴史大作。百年余にわたって古代の奥州に君臨し、中尊寺・金色堂に代表される黄金文化を築いた奥州藤原氏の興亡のドラマ。