著者 : 咲セリ
なぜ生きるのか、なぜ死ぬのか、なぜ愛するのか、なぜ自分は自分なのか…。 生きづらさ当事者として心の病気や死にたい気持ちをそのまま肯定し発信する作家・カウンセラーの咲セリが贈る、4つの問いを紡ぐフィクション短編集(4編収録)。ふがいない自分をただただ肯定する、お守りのような一冊。人生に迷い押しつぶされそうな時に、「生きたい」というひとすじの強烈な希望を見つけられることでしょう。 ・どうして生きているんだろうー。ミノの中でもがく「きみ」と「あなた」の物語 - 『いのちのほとり』、 ・感じることを忘れてしまった「その人」の、人生の終わりにふいに訪れた独りじゃない夜の痛み -『あわいのほとり』、 ・愛する人を突然失い、取り残された日々を生きる「彼女」が抱えていく想い -『さようならのほとり』、 ・”一度でいいから、誰にも所有されない生というものを味わってみたかった。”違う生を望みながら自らの生を終える生きものたちの命の連鎖 -『えいえんのほとり』。 <造本の美しさ> この本は、本来の上製本の造形の美しさを味わってもらうために、カバー無し・帯のみの商品となります。 表紙には手触りの良い紙を使用し、手のひらにそっと乗る、小さくて軽い本になっています(縦160cm×横130cm・厚み1.1cm、重さ174g)。 丁寧に作られたものは、そこにあるだけで人の心を癒すお守りになります。 2色刷で作られた中面には、全144ページ中60点以上の挿絵を掲載。見返し紙としおりひもには、表紙の絵に合わせた水色を使用。 文字を読む元気がない時でも、ただそこにあるだけで持ち主の存在を肯定できるような、お守りになるような美しい本が出来ました。(版元:風鯨社より) <作家より> 「ここにある小さな物語は、私の最初に出会った問いに、不器用な私がみつけた、私なりの答えです。命の数だけ、答えがあると思います。だから、共感してほしいとは望みません。 ただ、こんなふうな見方をした人間もいるのだと、もしこれを読んでいるあなたが苦しんでいるのなら、知ってもらえたら少しだけ嬉しい、そう願い書きました。 」 咲セリ(本文あとがきより) いのちのほとり -なぜ生きるのか あわいのほとり -なぜ死ぬのか さようならのほとり -なぜ愛するのか えいえんのほとり -なぜ自分は自分なのか あなたの物語 あとがき この本を一緒に作ってくれたみなさま
ノミとりするみたいに お互いの涙をぬぐいあった 発達障害のマニィ大橋。精神疾患の咲セリ。福祉番組「ハートネットTV」でつながった2人が、実話を元にして紡いだ往復書簡小説。 夜の街で呼ばれたデリヘル嬢は若干16歳。親からの愛を知らずいじめの傷に心を苛まれていた。呼んだ新聞記者もまた、家庭の問題で心因性勃起不全を抱え、かつて壮絶ないじめを体験し、後遺症に苦しんでいる。 愛と性を混乱し、ただ「しあわせ」を渇望する2人の人生は悲しいほどに救いから遠く、自分を愛せない答えへとたどり着くが……。 実際にいじめや家族、性の問題と直面した、各方面で講演活動を行うマニィ大橋と、精神科医岡田尊司氏との対談で病をオープンにした咲セリだから生まれた、ギリギリに優しいフィクション。
愛されたかった。愛したかった。でも捨てるしかなかった……親を。 2匹の金魚を虫かごに入れ、全国を体を売りながら放浪する少女は、さまざまな親の愛を求める魂と出会う。 アルコール依存の父の呪縛から逃れられないソーシャルゲーム依存の元教師。一番母を愛したのに一番になれなかった風俗スカウト。「死ね」と罵られ、それでも父の介護をするゲイの結婚詐欺師。 誰もが諦めの人生の中で、光を見失いたくないと足掻く。その姿は寂しく脆くやわらかい。 「絆の病(ポプラ社、精神科医岡田尊司氏との共著)」で自らの親子間の悲しいすれ違いを明かした著者による、現実の愛の漂流記。 プロローグ Prologue カエルの国 Land of the Frog 犬の帽子 Dog Hat 金魚の海 Gol d f i s h S e a エピローグ E p i logue
人の生の奥底を照らす光を求めて。障がいを抱える者たちが、身を寄せ合って「希望」を育むサークル、そこで起きた謎の事件を追って。手をつなぐこと願い、共感を手にしたことから生まれた殺傷事件、愛ゆえの暴力と生き抜くことの不条理……そのあまりに人間的なヒダを描く。生きづらさのむこうへ、二つの物語への招待、「蜂蜜と遠吠え」「ただしいクローバー」。 蜂蜜と遠吠え ただしいクローバー こころを演じる 熟れてない愛 裸足の捨て猫 自分のもの、ひとのもの 生き抜いた、いじめ 「しあわせな家族」へ 死にたい病 白い夢 遠くに見える愛 ちぎれていく四葉に 贖罪を歌って やわらかい声のうえ 笑いと障がい リアルのゆきつく先 生きづらさの同窓会 羽ばたく
遺体となって発見された。死体遺棄の疑いで逮捕された男女は……。ミジンコ画家で、書字障害の征司、オネエバーで働くトランスジェンダー、ベリー、カルト教団で育ち、かなわぬ恋に焦がれる女性、キリコ──三匹のミジンコが紡ぎ出す名づけようもない関係性。強く、濃いそのつながりこそ、誰しもが求めるものではなかったか。抽象的な関係の支配にあえぎ、深い愛を求める、はみ出し者たちの生、そこには限りないやさしさが。姉妹篇三部作『臆病な僕らは幸福を病んで』『永遠をひろって』。 プロローグ 食べられないミジンコ 卵を産めないミジンコ 絶滅危惧種のミジンコ
もうすべては終わるのに、きみの体はあたたかい……小さな小さなミジンコほどの劇団で、体を売りながら芝居に打ち込む少女。孤独を抱え、壊れていく仲間たちに打ちのめされながら。私たちは、どうすればよかったのだろう。壊れ、崩れていく関係を、それでも、必死で、繋ぎとめようとしていた──歯ぎしりしをながら。たよりなくも、いじらしい、儚い祈りの青春群像。 自伝的小説処女作『臆病な僕らは幸福を病んで』姉妹編。 ガラクタの居場所 生きたくて デラシネ 遠い日の花火 それぞれの痛み 終わりのはじまりの幕が開くとき 救いの歯ぎしり ガラクタたちは、今日も震えながら
「私たち…死ぬために、つながってるんだよね」「…せやな」「だったら、生きてる間だけでもさ、家族でいない?」かけがえのない大切な誰かのしあわせを祈る、せつなくも優しい命の捧げもの。