小説むすび | 著者 : 村岡直子

著者 : 村岡直子

両膝を怪我したわたしの聖女両膝を怪我したわたしの聖女

決 壊 す る 文 体 ーー圧倒的な感情がほとばしり、膨れ上がり自壊する言葉の群れが未熟な欲望を覆い尽くす。10歳の少女らを閉じ込めるひどく退屈な夏休み、早熟なふたりの過激で破滅的な友情。 スペイン最南カナリア諸島発、世界18カ国語に翻訳の問題作。  ◇ ◇ ◇ スペイン・カナリア諸島に暮らす、10歳の「わたし」と親友イソラ。 せっかくの夏休みは、憂鬱な曇天に覆われていた。薄暗い貧困の地区を抜け出して、陽光のふりそそぐサン・マルコス海岸に出かけたいのに、仕事に追われる大人たちは車を出してやる余裕がない。ふたりの少女は退屈しのぎのため、不潔にして乱暴、猥雑で危うい遊びにつぎつぎ手を染める。 親友というには過激すぎる、共依存的関係性。 「わたし」にとってイソラはまるで聖女のように絶対的な存在だった。イソラが両膝を怪我すれば、舌でその血をなめとった。イソラの飼い犬になりたかった。粗暴な物語に織り込まれた緻密な象徴の数々。子どもらしいイノセンスとは無縁の、深い悲しみに由来する頽廃と陶酔の日々。 イソラと共にある日常は永遠に続くかに思われた。しかしーー  ◇ ◇ ◇ Andrea Abreu, Panza de burro (2020) 装丁:コバヤシタケシ 装画:さめほし「夜明けの海」 あんなに大胆で、あんなに怖いもの知らずに ほんのちびっとだけ イソラ・カンデラリア・ゴンサレス=エレラ 松葉の下のキノコ これは雨になりそうだ クリームを、首にクリームを タイヤをきしませながら行くメタリックのビマー ヨソモンは臭い ウサギを嚙まずに丸ごと食べちゃう フアニータの叫び声は十字路の向こうまで響いた イソラを食べてしまう まだはつ明されてないような愛ぶをしてやるぜ イソラの足がアスファルトを踏む 猟犬みたいにやせっぽち こすりつける 両膝を怪我したわたしの聖女 イエス・キリストの小さな顔 その日はキャベツシチューしかなかった iso_pinki_10@hotmail.com ペペ・ベナベンテのBGM クロウタドリの羽みたいに黒い目 エドウィン・リベラ ジャガイモひとつごとに半キロ 胴体にナイフ イソラが存在しなかったときみたいに 女に残る最後のもの わたしたちはこんなふうに夜の蛾のように ひとりでこする 這い回るトカゲ 広場の上につるした色紙 訳者あとがき

雌犬雌犬

これはわたしの犬《むすめ》。 もし何かしたら、殺してやる。 この世から忘れ去られた海辺の寒村。子どもをあきらめたひとりの女が、もらい受けた一匹の雌犬を娘の代わりに溺愛することから、奇妙で濃密な愛憎劇《トロピカル・ゴシック》が幕を開ける…… 人間と自然の愛と暴力を無駄のない文体で容赦なく描き切り、世界15か国以上で翻訳され物議をかもしたスペイン語圏屈指の実力派作家による問題作が、ついに邦訳! 【古川日出男さん推薦!】 全篇に乾いた〈距離〉が満ちる。 人が愛に渇いて、世界中が愛の雨を枯渇させて、乾いて。 物語はまさに〈断崖〉の上に立つ。 【スペイン語圏の錚々たる作家たちも絶賛!】 『雌犬』は、真の暴力を描いた小説だ。作者キンタナは、私たちが知らないうちに負っていた傷口を暴き、その美しさを示して、それからそこに一握りの塩を擦り込んでくる。 ーーユリ・エレーラ この本は、あなたを変える。残忍であると同時に美しいコロンビア沿岸の荒々しい風景のなかで、母性、残酷さ、自然の揺るぎなさに注ぐまなざしがここにある。結末は忘れられない。 ーーマリアーナ・エンリケス この飾り気のない小説の魔力は、一見何かまったく別のことを物語りながら、多くの重要なことについて語ることにある。それは暴力であり、孤独であり、強靱さであり、残酷さだ。キンタナは、冷静で、無駄のない、力強い文体により、読者を驚嘆せしめるのだ。 ーーフアン・ガブリエル・バスケス ☆2018年コロンビア・ビブリオテカ小説賞受賞 ☆2019年英国PEN翻訳賞受賞 ☆2020年全米図書賞翻訳部門最終候補 ☆RT Features制作による映画化決定! Pliar Quintana, La perra(2017)

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