著者 : 鈴木創士
洒脱にして剣呑、静謐にして囂囂たる、“僕”と“おじさん”と“おじいさん”の夢幻の如き日々は、どこに辿り着くのか。 ランボー、アルトー、ジュネ、ヴィアンの翻訳者が満を持して放つ、破格の書き下ろし長編小説! 僕の家にはおじいさんとおじさんがいて、僕がお世話になっているところや知り合いのお店なんかにとつぜん出没しては、わざと迷惑をかけたりして僕に恥をかかせるのだが、どこかに忠実な間諜がいて、そいつが連絡でもしているみたいに絶妙のタイミングで現れるので、よけいに腹が立って仕方がない。あっちは二人だから、いつもこちらは多勢に無勢みたいな気がするし、彼らはむやみに嵩高いのだ。いつか手押しリヤカーに二人を乗せて夜のメリケン波止場から暗い海に突き落としてやろうと思っている。(…)確かなことは、僕がいつまでたっても三人のなかで一番年下だということだし、何を隠そう、この劣等感をぬぐうことができず、自分でも情けなくなることがある。子供の頃から、僕はできるだけ早く歳をとりたかった。さすがにいきなり皺だらけのじじいになるのは嫌だったけれど、いつまでたっても子供モドキでいることに耐えられなかった。(本書より) 第一章 日誌 第二章 廃址
出発はしない。いつもそう思ったが、どうして、どうして、いつも出発することになった。出発ではなく、道を辿り直し、もう同じ場所ではありえない元へと戻り、どうやって何もかも終えるのかを考えるべきかもしれない。 龍之介と百間、ランボー、足穂、 (フェルナンド)ペソア、一馬、アルトー、小野篁…… 「幻視者たち」がさすらう めくるめき文学草子。書き下ろし。「分身」としての 世界文学史小説
すべてに反抗して閃光のように世を去った呪われた天才が戦後まもなくアメリカ人を偽装して執筆、ベストセラーとなったが発禁処分をうけたデビュー作が切れ味のいい新訳で復活。黒人であるがために殺された弟の復讐を誓った白い肌の黒人である「俺」は田舎町の白人社会に溶け込んでその機会を狙い、ついに白人娘二人を「叩きのめそう」としたが…差別への憤怒を結晶させたノワールの傑作。
未来を震撼させる巨星アルトーのテクスト群に「比類なき仕方で君臨する」(ドゥルーズ)名著『ヘリオガバルス』を第一人者が新訳。十四歳で即位して十八歳で惨殺されたローマ少年皇帝の運命に究極のアナーキーを見出し、血塗られた歴史の深部に非有機的生命=「器官なき身体」の輝きを開示する稀代の奇書にして傑作が新たな訳文によってよみがえる。
フーコー、ドゥルーズ、デリダらにはかりしれない影響を与えた巨星アルトー、その壮絶をきわめた生涯の最後を小説として描きつつ、彼の思考の核心をしめす異才による新しいスタイルの文学。
本書は、アメリカ人ジャーナリストと作家Sという、いわばコンピュータとDNAの時代のブヴァールとペキュシェの対話からなる現代のロマネスク小説である。それはソルレス自身の自伝的要素が随所に散りばめられているというだけでなく、作家がそれとともに自らの生を生きているような、いまこれを書きつつある者がその内部にあって現実の日々を送っているような小説的小説、つまり『天国』の作家による「新生」の試みなのである。