新書太閤記(五)
家康と信長の援軍が三方ケ原で完敗を喫してから僅か三年、信長・家康の連合軍は、宿敵武田軍に潰滅的な打撃を加えた。世にいう長篠の合戦である。武田の騎馬軍団を織田の鉄砲軍団が完膚なきまでに叩きのめした一戦であり、素早く実戦に鉄砲威力を採り入れた信長の炯眼が光っていた。また、三河武士の名をあげたものに、鳥居強右衛門の懦夫をも起たす鬼神の働きがあり、家康も面目を施す。
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信長の死後一年、めまぐるしい情勢の変化だった。しかし、賎ケ岳の一戦をもって、信長の衣鉢はすべて、秀吉に継承されたといっていい。ただ一人、秀吉には強敵が残った。海道一の弓取り家康である。その家康も名器“初花”を秀吉に献じて戦勝を祝した。だが、秀吉の天下経営に不満を抱く信長の次子・信雄は、家康と結び、秀吉に真っ向から敵対する。かくて小牧山に戦端が開かれる。 1990/08/03 発売