新書太閤記(七)
天正10年春、信長は得意の絶頂にあった。東方の脅威だった武田氏はわが蹂躪に沈み、天下統一の道は西国を残すのみとなった。その西国も、秀吉が高松城を包囲し、着々戦果を上げていたが、救援毛利勢の動き如何では、覇業に頓座をきたすとも見えた。かくて信長出陣。だが出陣にも似ぬ軽装は、信長一期の不覚といえよう。運明の本能寺!鞭を揚げて東を指したのは、逆臣光秀であった。
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信長を主に選んだ藤吉郎のすばらしい嗅覚。これは彼の天賦の才で、寧子への求婚でも言えることである。恋がたき前度県千代との、虚々実々の妻あらそい。だが、本巻の眼目は、田楽狭間の急襲にある。永禄3年、今川義元は数万の兵を率い、西征の途に立った。鎧袖一触と見くびられた織田勢であったが、信長は敢然とその前に立ちはだかったのである。この一戦の帰結が、戦国の流れを変えていく。 1990/04/23 発売
桶狭間の大勝は、尾張に信長あり、と武名を喧伝はされたが、天下統一への道は第一歩を踏み出したにすぎない。信長の次なる目標は、美濃の攻略である。その拠点ともなるべき洲股ー尾濃の国境に天険を誇る要害の地に、織田軍団の足場をつくりたい。これが信長の渇望であった。だが言うは易く、工事は至難。重臣、みな反対である。時に藤吉郎ひとり、賛成論をブッた。当然、大命は藤吉郎に。 1990/04/23 発売
出る杭は打たれる。-永禄の終りから元亀の初めにかけての信長が、まさにその状態に置かれていた。東北には武田・上杉の古豪が若輩何するものぞと眼を光らし、西北には浅井・朝倉が虎視眈々と隙をうかがっている。折も折、西上を打診しつづけていた信玄は、信長の盟友徳川家康を襲った。浜松城北方の台地・三方ケ原に徳川軍をおびき出し、これを粉砕した。家康、生涯唯一の完敗であった。 1990/06/05 発売
家康と信長の援軍が三方ケ原で完敗を喫してから僅か三年、信長・家康の連合軍は、宿敵武田軍に潰滅的な打撃を加えた。世にいう長篠の合戦である。武田の騎馬軍団を織田の鉄砲軍団が完膚なきまでに叩きのめした一戦であり、素早く実戦に鉄砲威力を採り入れた信長の炯眼が光っていた。また、三河武士の名をあげたものに、鳥居強右衛門の懦夫をも起たす鬼神の働きがあり、家康も面目を施す。 1990/06/05 発売
信長の天下統一の最後の難敵が、中国の毛利一族であった。この征討にあたるのが秀吉である。しかし、連戦連勝を重ねた金瓢も、今度はどうしたものか生気がない。一城を奪えば、また奪回され、戦線は膠着。信長の苛立ち、秀吉の苦慮。そして秀吉が股肱とも頼む、竹中半兵衛、黒田官兵衛の身にも異変は起きた。一方、衰運急な武田氏は春の淡雪と共に消え、戦国地図は大いに変ろうとしている。 1990/06/05 発売
信長凶刃に斃るの報を、織田の諸将はどう受けとったのか。秀吉は備中・高松城を水攻めに計った矢先。もし毛利方に信長の死が洩れたなら、情勢はどう変っていくか。まさに薄氷をふむ思いで、秀吉はこの3日間を過した。だが、彼の心気は生涯の内で最も充実したときであったろう。主君の弔合戦に姫路城を進発した秀吉の眉間は明るく、思惑はずれの天下に失望した光秀とは好対照をなしていた。 1990/07/03 発売
天下統一にまっしぐらに進んでいた信長の死。しかも嗣子の信忠もろともの死であっただけに、後継者問題は織田家の内外を通じて、頭の痛いことであった。清洲会議の決定も、次第に宇に浮いてゆく。いち早く光秀を誅殺し、家中第一の発言権を確保した秀吉、一歩遅れたりといえど、宿老として重きをなす勝家。激化する二人の対立に、信長の子・信雄、信孝の思惑がからんで賎ケ嶽合戦へと進む。 1990/07/03 発売
信長の死後一年、めまぐるしい情勢の変化だった。しかし、賎ケ岳の一戦をもって、信長の衣鉢はすべて、秀吉に継承されたといっていい。ただ一人、秀吉には強敵が残った。海道一の弓取り家康である。その家康も名器“初花”を秀吉に献じて戦勝を祝した。だが、秀吉の天下経営に不満を抱く信長の次子・信雄は、家康と結び、秀吉に真っ向から敵対する。かくて小牧山に戦端が開かれる。 1990/08/03 発売