新・平家物語(八)
打倒平家の旗のもとに鎌倉を進発した源氏軍と、意気あがらぬまま東下した維盛ひきいる頼朝征討軍。両軍は、富士川をはさんで対峙する。“水鳥の羽音”で敗走した平家には、著者一流の解釈がある。黄瀬川の陣で、末弟義経と初の対面をした頼朝。いよいよ活気づく源氏勢に手を焼く平家は、腹背に敵をうけた。木曽義仲の蜂起は平家一門の夢を劈き、北陸路もまた修羅の天地であった。
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12世紀の初め、藤原政権の退廃は、武門の両統“源平”の擡頭をもたらした。しかし、強者は倶に天を戴かず。その争覇興亡が古典平家の世界である。「新・平家物語」も源平抗争の歴史を描くが、単なる現代訳でなく、古典のふくらんだ虚像を正し、従来無視された庶民の相にも力点を置く。-100年の人間世界の興亡、流転、愛憎を主題に、7年の歳月を傾けた、著者鏤骨の超大作。 1989/03/24 発売
保元の乱前夜、爛れた世の病巣は、意外に深かった。院政という摩訶不思議な機構の上に、閨閥の複雑、常上家の摂関争いの熾烈、その他もろもろの情勢がからみあって、一時にウミを吹き出す。-かくて保元の乱は勃発したが、「皇室と皇室が戦い、叔父と甥が戦い、文字どおり骨肉相食むの惨を演じた悪夢の一戦」であった。その戦後処理も異常をきわめ、禍根は尾をひいた。 1989/03/24 発売
もし頼朝が伊豆以外に配流となっていたとしたら、後の日本の歴史も変わったものになっていたに違いない。まことに奇しく伊豆、そして火の国の女・政子との出会いであった。さすがの佐殿も、政子の情熱に寄り切られたのである。ここに最大の被害者は、政子の父・北条時政であった。-一方、都に目を移せば、反平家の気運は次第に強まり、洛中洛外、不穏な兵馬の動きにあわただしい。 1989/06/02 発売
鹿ケ谷事件は“驕る平家”への警鐘であったが、清盛にはどれ程の自覚があったろうか。高倉天皇の中宮徳子は、玉のような御子を産み、一門をあげて余慶にひたっていた。-だが反平家運動は、今や野火の如く六波羅の屋形を包んでいた。その総師はもちろん、清盛の圧力に屈せぬ後白河法皇、関白基房などの院方。そして意外と思われる人に、76歳の老武将・源三位頼政がいた。 1989/06/02 発売
源三位頼政は、殱滅された源氏一族にあって、異例といえるくらい、清盛の殊遇をうけた人であった。その彼が、何ゆえ76歳の高齢もかえりみず、平家打倒に起ちあがったか。そして戦いは断橋の悲痛な叫びを残して終ったが、これを境に反平家の勢力は、燎原の火の如く各地に蹶起する。-伊豆での旗挙げに1度は失敗した頼朝も、鎌倉に本拠を定めて都を窺う。つづいて木曽の義仲、挙兵! 1989/06/02 発売
寿永二年は、源平それぞれに明日の運命を賭けた年である。ひとくちに源氏といっても、頼朝は義仲を敵視しているから、三つ巴の抗争というべきであろう。最初の勝機は義仲がつかんだ。史上名高い火牛の計で四万の平家を走らせた倶利伽羅峠。勝ちに乗じた義仲は、一気に都へ駈けあがる。京洛の巷は阿鼻叫喚。平家は都落ちという最悪の事態を迎えるが、一門の心と心は決して同じではない。 1989/07/03 発売
平家追討の院宣ならびに朝日将軍の称号を賜わり、生涯最良の日々を味わう義仲。だが、彼の得意満面の笑みも次第に歪みはじめる。牛車の乗り方ひとつ知らない田舎そだちだから、殿上づきあいは苦手だ。相手は老獪な後白河法皇。義仲の凋落は水島合戦から始まった。反撃の平家、背後から襲いかかる鎌倉勢、加えて院方ーと義仲は四面楚歌。さすがの一世の風雲児も、流星の如く消えてゆく。 1989/08/03 発売
源氏の内輪もめが幸いして、都落ちした平家は急速に勢力を挽回していた。西海は一門の軍事力の温床、瀬戸内には平家の兵船が波を蹴たてて往きかい、着々と反攻の秋を窺っていた。わけて一ノ谷は天険の要害、平家自慢の陣地だった。加えて兵力では、平家は源氏の何倍も優位にある。しかし、地勢と時と心理とは、まったく平家に不利だった。義経軍の坂上からの不意打ちに算を乱して敗走する。 1989/08/03 発売
一ノ谷の合戦から屋島の合戦までには、1年の月日が流れている。さきの合戦に大功をたてながら、なんら叙勲の沙汰もうけぬ義経。そしていったん任官後は、鎌倉に断わりもなく、と不興を買い、平家追討使の大役も範頼に奪われた義経。鎌倉どの差向けの花嫁も、彼の心を暗くする。だが、源氏は義経をまだ必要としていた。-西国攻めの範頼軍は備前児島に立往生し、平家軍が猛威をふるう。 1989/08/03 発売
日本のなかば以上を所領した平家が、いま寸士も失って、水鳥の如く波間に漂う。思えば、入道清盛逝きて、わずか4年後の悲運である。最後の夢を彦島のとりでに託して、一門の船団は西へ西へと向う。史上名高い那須余一の扇の的、義経の弓流しなど、源氏がわの武勇をたたえる挿話のみが多い屋島の合戦。著者は眼を転じて、追われる平家の厳島祈願に込められた、惻々たる心情に迫る。講談社創業80周年記念出版。 1989/09/04 発売
平家には、もう明日はなかった。さかまく渦潮におのれの影を見るごとく、壇ノ浦に一門の危機感がみなぎる。寿永4年3月24日の朝、敵味方のどよめきのうちに戦は始まった。だが、単なる海戦ではない。海峡の戦である。独特の潮相と風位の戦である。潮をあやつり、波に乗るもの、義経か知盛か。その夜の星影も見ず、平家は波騒に消えた。波に底にも都の候う、との耽美的な一語を残して。講談社創業80周年記念出版。 1989/09/04 発売
義経必死の腰越状も、兄頼朝の勘気を解く手だてにはならなかった。義経斬るべしの声は、鎌倉方の決意となってゆく。そして堀川夜討ちは、両者決裂の烽火であった。頼朝は大軍を率いて黄瀬川に布陣。運命の皮肉と言おうか、あのとき手を取り合った弟を討つための夜営になろうとは!この日から義経は失墜の道を歩む。波荒し大物の浦、白魔に狂う吉野山。悲劇は義経一人にとどまらない…。 1989/10/02 発売
平家が西海の藻屑と消えてわずか半年後、武勲第一の義経は、それまで指揮下にあった頼朝の兵に追われる身となった。吉野から多武ノ峰、伊勢、伊賀ー息をひそめて主従7人、平家の残党の如く生きる。静を見捨ててまでの潜行につぐ潜行。義経はひたすら東北の空を仰ぐ。そこには、頼朝の最も恐れる藤原三代の王国がー。人間の愚、人間の幸福をきわめつづけた吉川文学の総決算、ここに完結。 1989/10/02 発売
寿永四年三月二十四日、平家七百艘、源氏六百艘ー両軍の船々は、愈々壇ノ浦で相まみえる。知盛と義経の攻防の中、阿波勢の動向や潮流の変化を機に戦況は源氏側へ有利に傾く。決定的となった敗北に、二位ノ尼に抱かれた安徳天皇をはじめ、経盛、建礼門院は次々と入水していく…。清盛の歿後わずか四年、平家は滅亡の時を迎えた。ついに命運尽き、波間に消えた平家一門の無常を描く第十七巻。 2015/04/30 発売
平家を滅ぼした後、義経と兄頼朝との亀裂は、深まる一方だった。平宗盛父子を護送して鎌倉に向かった義経は、鎌倉入りを許されず、腰越に留め置かれる。心血を注いだ愁訴の状を幕府の大江広元を通じて差し出すが、その真情は頼朝には届かなかった。失意のうちに京に戻ると、刺客が館を襲撃。義経は戦を避けて、弁慶、静らとともに西国へ下ることを決意する…。切々たる「腰越状」、堀川夜討、義経の都落ちを描く第十八巻。 2015/05/28 発売