出版社 : 現代企画室
封印された歴史、アフリカからの帰還 本作は、1974年にポルトガルで起きた「カーネション革命」直後、植民地アンゴラから本国へ帰還した少年ルイとその家族を描いた物語である。作者のドゥルセ・マリア・カルドーゾ自身もまた、アンゴラからの帰還者の一人であり、永くポルトガルでは封印されていた歴史である「植民地からの帰還者」の問題に文学的アプローチで取り組んだ話題作。 ポルトガル領アンゴラで暮らしていた白人の少年ルイとその家族の生活は、本国ポルトガルで起きた革命をきっかけに、歴史の大きなうねりに飲み込まれていく。本国に引き上げた帰還者たちは長期間のホテル暮らしを強いられ、そこにはアイデンティティや黒人差別など、さまざまなポストコロニアル的問題が浮かび上がる。1974年4月25日の革命後、アフリカから大挙して帰還した60万人のポルトガル人が「語らずにきたこと」を、ルイの目を通して赤裸々に描いた本作は大きな注目を集め、今もロングセラーとなっている。 「もうみんな行ってしまった。……僕らももうここにいるべきじゃない」
新しい美術小説の誕生だ。 1925年のパリ国際博覧会で登場したアール・デコは、第一次世界大戦後の世界を拓いた。 博覧会を巡る、スリリングで知的な対話は、100年後の大阪万博の役割を考えるに絶好の力作となっている(北川フラム) アール・デコ……装飾が思想としての力を失っていなかった時代の象徴。しかしその流行は 10年あまりで終わってしまう。パリでアール・デコの家具店を営んでいた三門次朗は、アメリカに商機を見出すべく、1937年に豪華客船ノルマンディー号で旅に出る。 次朗は同行してくれた森谷ひろ子や船中で出会った人たちとの対話から、市民社会を謳歌したパリの「狂騒の二〇年代」が、地殻変動を起こして崩れだしていることに気づかされる。
驚きに満ちていて悲しい。それが旅だった。オーストラリアとスリランカ。遠く隔たった二人の主人公の半生と束の間交錯するその道のりが紡ぎ出す、現代世界をめぐる「旅」の諸相。各国の批評家から絶賛され、著者を一躍世界的作家に仲間入りさせたオーストラリア現代文学屈指の傑作、待望の邦訳。
ジョゼ・ルイス・ペイショット、ドゥルセ・マリア・カルドーゾ、リカルド・アドルフォ、ジョルジュ・デ・セナなど重鎮から新鋭まで、ポルトガル現代文学の魅力を存分に示す12人の作家たちによる珠玉の掌篇集。 本書に訳出されているのは、いずれもポルトガルの現代のフィクションの傾向をよく表す、価値ある豊かな作品である。選ばれた作家たちに祝福の言葉を贈りたい。そして、これから本書を読む日本の読者にも。これらの美しい短篇を発見する特権はあなたの手にある。-ルイ・ズィンク 「少尉の災難 遠いはるかな地で」マリオ・デ・カルバーリョ 「ヨーロッパの幸せ」ヴァルテル・ウーゴ・マイン 「ヴァルザー氏と森」ゴンサロ・M・タヴァレス 「美容師」イネス・ペドローザ 「図書室」ドゥルセ・マリア・カルドーゾ 「バビロンの川のほとりで」ジョルジュ・デ・セナ 「植民地のあとに残ったもの」 テレーザ・ヴェイガ 「汝の隣人」テオリンダ・ジェルサン 「犬の夢」ルイザ・コスタ・ゴメス 「定理」エルベルト・エルテデル 「川辺の寡婦」ジョゼ・ ルイス・ペイショット 「東京は地球より遠く」リカルド・アドルフォ
ラテンアメリカ文学の「古典中の古典」、待望の翻訳成る! 植民地支配を断ち、独立して100年有余。迫りくる北の米帝国の脅威に対抗して、国家統合へと向かう20世紀初頭のベネズエラの平原を舞台に、スリルに富む冒険物語と恋愛ドラマで描く大作。 ガジェゴスは、過酷な自然世界と、的確な指導のもとで富を生む希望を秘めた世界とを組み合わせ、文明社会への道のりを打ち出した。(……)見事な自然描写はそれ自体芸術的価値をもっているが、アニミズム、神秘、迷信、呪術等、平原(ジャノ)人の心理を形成する非合理的要素を見事に取り込むガジェゴスの手腕は賞賛に値する。(グレゴリー・サンブラーノ、本書「解説」から)
ソウルの下町、路地に面した小さな綴り方教室で、届かない手紙を、読み手のいない小説を、ありふれた「自分の話」を書く女性たち。ゆらぎ、さまよい、傷つけあう母と娘、そして書くことが好きなすべての私たちの物語。
人生は美しい。 変化と冒険で溢れている。 ただ、運を味方にしなければならない。 1944年3月から翌45年2月まで、戦況の不利に喘ぐ終末期のナチス・ドイツに占領されたハンガリーの首都ブタペシュト。ユダヤ系ハンガリー人の法律家ティヴァダル・ソロスは、妻と義母、そして二人の息子や親しい友人たちとともに生き延びるために、「仮面」をつけて生活する道を選択した。 極限状態にあっても冷静さとユーモアを失わず、偽造の身分証や隠れ家を求めて繰り広げられる頭脳ゲーム。結果として、家族の全員と数多くのユダヤ人の命を救ったティヴァダルが、濃密な1年弱の経験を語った自叙伝が本書である。 20世紀前半のハンガリーにおけるユダヤ人社会や、これまで日本に紹介されることが少なかったドイツ軍占領下のブダペシュトの様子を克明に描くと同時に、投資家、社会事業家として世界に名を馳せる息子ジョージ・ソロスの思想を育んだ背景も明らかにする。 「この日本語版は、本書『仮面のダンス』の11番目の言語への翻訳である。父ティヴァダル・ソロスが、今や日本の読者に直接語りかけることができるようになったことを、私はとても嬉しく思う。ハンガリーを占領したナチスに直面したときの父の勇気、楽観主義、そして創意工夫によって、私たち家族は生き延びることができた。またこういった父の美点は、生涯を通じて私の発想の源であり、私を鼓舞しつづけてきた。今度はこの本を通じて、きっと多くの人たちを奮い立たせるであろう。」(ジョージ・ソロス)
アボリジニにルーツを持つ作家が、オーストラリア現代文学に切り拓いた新たな地平。 生と死、人と鯨、文明と土着のあわいで紡がれた言葉、唄、踊り。ふたつの異なる世界を軽やかに行き来した先住民(ヌンガル)の少年が見つけた希望は、歴史の痛ましい「現実」の彼方で煌めきつづける。 19世紀前半の植民初期、「友好的なフロンティア」と呼ばれたオーストラリア南西部の海辺で、先住民と入植者が育んだ幸福な友情とやがて訪れた悲しい対立の物語。 米国の捕鯨船も来航する入植地にヨーロッパ人が現れたころに生まれたヌンガルの少年ボビーは、幼くして一族の死者と交信するする特別な踊り「死びとの踊り」の導き手であると同時に、持ち前の好奇心から入植者の社会に入り込み、白人たちの言葉と文字を獲得していた。先住民と入植者のあいだの緊張が高まり、ついに衝突しそうなとき、ボビーは白人たちに「死びとの踊り」を披露し、互いを排除しあうのではない融和の道を探ろうとするが……?
客観的で公平な批評によって普遍を追求する『モロッコ人の手紙』、暗い夜の闇のなかで人間存在の悲惨を炸裂させる『鬱夜』-。18世紀啓蒙思想とロマン主義精神の精華!
ときは19世紀初頭、ロンドンでの貧窮生活と生命の危機をくぐり抜け、ウィリアムとサラのソーンヒル夫妻は植民初期のシドニーにたどり着く。舟運の仕事についたウィリアムは、やがてシドニーから隔たった入植地に希望を見出し一家で移り住むが、無人の未開地と思われたそこは、先住民が伝統的な暮らしや祭祀を営む場所だった…。異文化との出会いと衝突、そして和解に至る道のりで、「記憶」はいかに物語られるのか。多文化にひらかれた新たなアイデンティティを模索するオーストラリア社会に、深い衝撃をもたらした現代の古典。
時は21世紀初頭、舞台はボリビア、激しい政治的混乱に見舞われた架空の近代都市リオ・フヒティーボ。学生たちがバリケードを築く、昔ながらの抗議行動の裏でネット社会に深く関わるハッカーたちは複雑につながり時の政権にサイバー攻撃を仕掛ける。文学の愉しさをふんだんに盛り込んだ近未来小説。「魔術的リアリズム」の世界とは異なる、新世代のラテンアメリカ文学。
とある小国の経済を牛耳るベントゥーラ一族の人びとが毎夏を過ごす辺境の別荘。ある日、大人たちが全員ピクニックに出かけ、別荘には33人のいとこたちだけが取り残された。日常の秩序が失われた小世界で、子どもたちの企みと別荘をめぐる一族の暗い歴史が交錯し、やがて常軌を逸した出来事が巻きおこる…。チリの巨匠ホセ・ドノソの、『夜のみだらな鳥』と並ぶ代表作にして、二転、三転する狂気をはらんだ世界が読む者を眩惑する怪作、待望の邦訳!!1973年チリ・クーデタに触発されたドノソが、類い希なる想像力を駆使し、偏執的とさえいえる緻密な構成で書き上げた、理屈抜きに面白い傑作。後続する作家や世界の批評家たちを今なお魅了しつづける、ラテンアメリカ文学の金字塔。
エル・ベダードと呼ばれる3ブロック程の「夜も眠らぬ」歓楽街、そこには、外国人観光客、知識人、ポン引き、娼婦などが蝟集する。多くの極貧労働者によって購われた特権階級の遊び場にオマージュを捧げることで、作家は何を言おうとしたのだろうか?1958年、革命前夜のハバナを舞台にしたキューバの鬼才、カブレラ・インファンテの、翻訳不可能な怪作、遂に「超訳」成る!