出版社 : 笠間書院
『土左日記』は、いかにして和文散文の創始になりえたのか?紀貫之が目指したのは、それまで誰も挑んだことのない、日本語による散文を書くことだった。それは、漢文でも物語でもない、読まれるためだけの、私的な文章だった。しかし、そのような文章を書き上げるのは当然のように困難を極めた。貫之は、さまざまな表現方法を取り入れるブリコラージュをいとわなかった。日記の形をとることも、女に仮託したように見せることも…。本著が表現の痕跡から浮き彫りにするのは、まさにその苦闘のプロセスである。
寛政10年(1798)に九州秋月藩の儒者の娘として生まれ、生涯独身で日本各地を遊歴の漢詩人として旅を続けた原采蘋。儒教倫理の規制の中で、「漢詩人として成功せよ」との父の遺命を背負い、62年間その遺命に背くことなく漢詩人としての業績を上げることに精進した。遊歴の日記を漢詩で綴ったが、残された詩には、自らの運命に対する恨み、悲しみが正直に書かれており、江戸時代後期に漢詩人として生きた女性の複雑な感情がにじみ出る。またそれは儒者の娘として一人の女性が学んだ知識の深さを改めて知ることが出来るものである。「男子は徳有れば便(すなわ)ちこれ才、女子才なければ、便ちこれ徳」と一般的に考えられた時代に、采蘋のような女性が生きることは決して楽ではなかったはずである。時代の過渡期を彼女はどう生きたのか。その生涯と詩に再び光を当て、これまで定着していた「男装の女性漢詩人」という勇ましい采蘋像を更新した労作。
倦まず弛まず書物と格闘し新たな文学作品を生み出した、禅僧たちの営みを明らかにする。また、その後の近世文学への接続、同時代の和歌や説話、公家社会の学問との関わりを探り、孤立しているように見えている五山文学を日本文学の中に組み込むべく、その存在を新たに捉える基礎作業を行う書。
倦まず弛まず書物と格闘し新たな文学作品を生み出した、禅僧たちの営みを明らかにする。また、その後の近世文学への接続、同時代の和歌や説話、公家社会の学問との関わりを探り、孤立しているように見えている五山文学を日本文学の中に組み込むべく、その存在を新たに捉える基礎作業を行う書。
藤原明衡・大江匡房・藤原敦光・藤原基俊・藤原忠通といった平安後期を代表する文人たちの事績を検証し、漢文学の国風化という観点から説き起こした画期的な研究。平安後期の漢学の実態を初めて明らかにする。
イギリスのアルフレッド大王の事蹟を、馬琴読本の文体模写で小説化した山田美妙最初の作品「竪琴草紙」。長く未翻刻の状態にあった本作を復元し、詳細な解説・解題、関連参考本文を収録する。
明治〜昭和を代表する小説家、童話作家二十四人の秀逸な短編を全文収録。作品を通して文学史の流れをも汲みとることができる構成とした。巻末の解説では、個々の作家活動の概要、参考文献を紹介。 ◎収録作品 あひゞき四迷/十三夜一葉/奮生人藤村/夢十夜漱石/刺青潤一郎/雪の日秋江/興津彌五右衛門の遺書鴎外/萢の犯罪直哉/花火荷風/おぎん龍之介/駒の話鏡花/風呂桶秋聲/セメント樽の中の手紙嘉樹/蠅利一骨拾い康成/鯉鱒二/冬の日基次郎/注文の多い料理店賢治/魚服記治/真珠安吾/夏の花民喜/晩菊芙美子/サーカス由紀夫/もの喰う女泰淳付・「作品作者解説」「年表」