出版社 : 解放出版社
著者は1939年生まれ、韓国・小鹿島のハンセン病療養所に暮らすハンセン病回復者で、小鹿島における人権運動の中心的存在。その著者が自らの少年期から青年期までを描いた自伝である。日本の植民地支配から解放後、8歳でハンセン病者であった母とともに小鹿島のハンセン病療養所に入ったこと、そこでの生活やハンセン病にかかったこと、先人から聞いた日帝時代の小鹿島の実態、医学講習所を卒業後、小鹿島を出て、「定着村」で医師として活動を始めるまでを書いている。 著者が小鹿島のハンセン病療養所に入ったのは解放後だが、その運営には日帝時代の慣習が色濃く残っていた。また、著者は先輩から日帝時代の小鹿島の様子をいろいろ聞かされている。幼い時から青年時代まで小鹿島で育った著者の体験として、小鹿島の状況がつぶさに描かれている。また、韓国では解放後、ハンセン病回復者が集住して自立生活を営む「定着村」政策が進められたが、その定着村の実態も著者の体験を通じて描かれている。 日本の読者のみなさまに はじめにー再刊に当たって 一 賤国への道 二 賤国の人たちが願う天国 三 賤国市民になるということ 四 それでも生きなければならない人たち 五 聞こえないこだま 六 あなたたちの天国、私たちの賤国 七 世間のなかの賤国 八 人間らしく生きるために エピローグ 訳者註 三度お目にかかった姜善奉さんー解説に代えて 福岡安則 訳者あとがき
小鹿島(ソロクト)は朝鮮半島の南端の小島で、日本が朝鮮を植民地支配していた当時、ここにハンセン病者を隔離・収容する療養所を設置した。著者は1946年、ハンセン病であった母とともに8歳でここに隔離され、13歳で自らも罹患した。植民地時代を受け継いだ療養所の生活の過酷さ、母から引き離された悲哀と自らの発病の苦悩……。これらを著者は後年、詩によって表現した。療養所での厳しい生活や、困難のなかで自らの道を切り開いてきた著者の姿が生き生きと浮かび上がってくる。 序詩 老姑壇(ノコダン) ●第一部 自序1 泡沫人生 あのころ 風浪の海路 そこでの最初の日 母子離別 保育園 愁嘆場(スタンジャン) 還 元 ●第二部 自序2 小鹿の松風 ムカイの家 中央公園 小学校 付添人 そ こ 騒擾事件 DDS1 DDS2 人として 脱出の冒険 苛性ソーダ 朴さんの死 小 舟 ●第三部 自序3 進 学 私の詩 先生だと 感謝の人生 夢の話 小鹿島の松林 月夜に 亡き者との別れ ●第四部 自序4 生の終わり 歳月の痕跡、小鹿島 視 線 乞食に青柿 永遠に お前と私はともに 冬の大雪 小鹿島連陸橋 わたしは 立ち止まらないよう 希望の村 わらびーー済州島へわらびを採りに ススキの花 千年の飛揚島(ピヤンド) 小 石 私の人生 ●第五部 自序5 ヨーロッパヘ パリにて ルツェルンの時間 ティトリス、雪山三二三八メートル 白頭山(ペクトゥサン) 長白瀑布(チャンベクポクポ) シドニーの祭り ニュージーランド 地の果てーーポルトガル コルクの木の悲しみ フェズの道 ジプシーの舞 月桂冠 ガウディの痕跡を訪ねて 月出山(ウォルチュルサン) 耽津江(タムジンガン)ダムに立って 追 憶 内蔵山(ネジャンサン)の紅葉 正東津(チョンドンジン)駅 寂しいその島 待たねば エピローグ 自分を見つめなおし 人生を振り返って 推薦のことば 悲しみと涙のなかから愛と幸福がこぼれ出てきます/蔡奎泰(チェギュテ) 解説 小鹿島について/川口祥子 訳者あとがき 著者 姜善奉について