1995年5月10日発売
江戸っ子武士道江戸っ子武士道
“やっぱり、日本は美しいなあ。”万延元年(1860)五月五日、端午の節句の日、浦賀の港で『咸臨丸』の手摺から身を乗り出すようにして四カ月ぶりに故国日本の山河を眺めているのは、あの歴史的壮挙であるいわゆる遣米使節一行の中の軍艦操練教授方頭取・勝麟太郎その人であったが、船中取調べの浦賀奉行所付与力から、この年三月三日上巳の節句の日の雪の朝、登城の途中で大老井伊掃部頭直弼が水戸藩の浪士たちの襲撃により斬殺されたことを初めて知らされることになった。これ以後、大変革の暴風雨が軍艦奉行の勝海舟を襲うことに…。-幕末維新、この日本の大難局を勝海舟の“江戸っ子気質”の武士道が救う。
陽炎の空戦隊陽炎の空戦隊
昭和16年11月、御前会議において米英に対する宣戦布告が決定された。開戦は12月初旬。連合艦隊司令長官山本五十六はハワイにある米太平洋艦隊基地を攻撃すべく、準備を進めていた…。その年の夏、二人の兵隊が呉に降りたった。海軍大尉吉良俊介と指羽竜太郎一等飛行兵曹。吉良への命令は「特第一飛行隊指揮官を命ず」であった。山本長官はこの隊に真珠湾攻撃と同時に行なうもうひとつの攻撃目標を狙わせる計画の成否を託したのだ。「帽ふれ」に見送られて出撃する伊号400潜隊。めざすははるか太平洋の彼方。いよいよ開戦の時は迫る…。果たして特第一飛行隊を待ち受ける運命は。
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