2025年4月14日発売
私は横市大の頃、哲学科にいて、主に現象学を専攻していた。だが、ヤスパースでは飽き足らず、ヴィトゲンシュタインの哲学に関心を抱いた。その当時、学生運動が盛んで、講義にはあまり出席していなかったので、デモに行ったり、文学作品ばかり読んでいた。そんな時、カフカに出遭い、またその縁で寺山修司を知った。 大学は何とか卒業できたが、就職試験には悉く落ちた。それで、郷里に帰り、塾を開いた。塾生を教えていたら、これなら僕にもできると、九大医学部に入り、精神病理学を研究した。ヤスパースとは逆のコースを辿った訳である。中年になって、統合失調症の発症の原因には「言葉」が関わっているのではないかと考えるに到った。そこで、ヴィトゲンシュタインのことを思い出し、改めて【哲学探究】を勉強することになった。それに感けて、カフカや寺山修司のことはすっかり失念していた。 娘が弘前大を受験したので、付き添いの私は凄く暇で、市内の本屋の前を通ったら、「映画は網膜から脳を剥ぎ取る」というタテカンが眼に入り、【あゝ、荒野】を買った。それで残り火が再燃して、【ぼくが戦争に行くとき 反時代的な即興論文】を読み、序にカフカの【アメリカ】も読み直した。そうするうちに、ヴィトゲンシュタイン、カフカ、寺山修司が絡みだして、「言葉」と「生活様式」をキーワードに三者を解明しようと思い到った次第である。
こんなすごいラストシーン、読んだことがない。 鳥肌が立った。 シムノン、おまえ、天才だろ。 (帯文/瀬名秀明) この最後の一行に書かれているもの、それは希望であるが、絶望である。これはポジティヴな結末であるが、同時にまったく逃れようのないネガティヴな結末でもある。ここにあるのは何か。喜び。悲しみ。人生。刹那。未来。宿命。そのすべてなのである。私たちはまったく思いもしなかったかたちでタイトル「袋小路」の伏線回収を目の当たりにすることになる。--「解説」より 人間の心理の深さ複雑さを描いた意欲作 白系ロシア人のウラディーミルは、金持ちで贅沢好きなジャンヌ・パプリエ夫人が所有するヨットの船長として、同郷の親友ブリニと共にそこに寝泊まりしながら暮らしていた。ウラディーミルはジャンヌの愛人で、船長とは名ばかりのもので、日々酒にまみれた無為な生活を送っている。ジャンヌの娘のエレーヌは、ブリニにはやさしく心を開いているが、ウラディーミルには冷たく、軽蔑している。ウラディーミルはその嫉妬からブリニを罪に陥れ、彼を追い払う。しかしその直後からウラディーミルは罪の意識と後悔の念に苛まれ続け、ついに、ある行動にでる……。コート・ダジュールの太陽の下と冬のワルシャワを舞台に、罪と罰、友情、幸せとは何かを描く。