制作・出演 : 十代目
89年、90年、92年の「柳家小三治独演会」の随談とでも言うか“マクラ”で構成された地噺・体験談を収録したもの。サンフランシスコへの3週間の英語留学の[1]では、中学時代のカンニングを居直って自慢する。[2]では英語のできない小三治のニューヨークひとり旅で白タクに乗ってしまった体験。[3]では暑い夏にはこれしかないと玉子かけご飯への妄執にも似たこだわりなどを語る。
「死神」は円生が演じたものが強烈で、そのイメージからなかなか抜け出せないでいたが、小三治はそれを見事に一新して独自の小三治ヴァージョンのサゲを作り上げた。死神の雰囲気、主人公の心理描写などなかなか見事に演じ切っている。独演会での録音。
88年10月の鈴本演芸場での独演会を収録。いきとどいた情景描写の泣かせる人情噺だ。芝の浜での“海の風は暖けぇからな〜”に実感がこもる。3年目の大晦日に障子、畳表を張り替えた家での女房の告白シーンをカッチリと語り描いていく小三治の定番。
『寄席芸人伝』などのコミックはさておき、ライヴはむっちゃ昔に一度きり、まるでO.ヘンリーの小説みたいな人情噺じっくり聴けるかな……の杞憂を吹き飛ばしたCD。落語への造詣深く、円生はじめ名演を録り続ける京須ディレクターの、恋文のような解説が◎。
駄々っ子と無邪気な父親を描いた『初天神』は小三治さんの得意ネタのひとつ。男はいつまでたってもやんちゃであることをしっかり描く。有名噺だからこそ力量が問われる『時そば』も、うーむと唸ってしまうほどの絶品で、笑いの間が心をあたたかくする。
小三治もいまやベテラン。脂の乗っている一番いい時期に差しかかっている。器用な語り口じゃないけれど、けっこう重厚さが増してきてなかなかいい味を出している。師匠の小さんが得意としていた(1)もいいけど、(2)が小三治の持ち味が存分に出ている。
小三治の啖呵はときどきこわい。こわいけれどもどこか頼もしいから絶品なのだ。与太郎のふにゃふにゃでもときどき気がきいている風情は小三治ならでは。泥棒ものの「転宅」は少々めずらしい。さすがの年季女にやられる男心はほほえましいイイ噺。
88年8月の独演会で収録された「宗論」と「出来心」。カルチャー・ギャップをテーマにした前者にしても、泥棒を主人公にした後者にしても、大ネタとは言えない軽量級のポップな噺だが、それを超ヘヴィー級の本格派が本気で演じているところが聴きどころ。
まくらからさげまで、たっぷり小三治の思想が詰まりまくった“大らくだ”。アフリカ話をふるのも、それでOKなのも小三治のわかりやすく骨のある語りを誰もが知っているからだが、このらくだはまさしく凄い。凄すぎて落語史におったってしまうほど。
時間的な制約の少ない独演会での収録。重い話をべたつくことなくスマートに聞かせ、だからこそ胸の奥に響く小三治の芸風が堪能できる。奉公元からの休暇帰りの息子を描く「薮入り」では、語り口が渇いている分だけ、親子の情がとことんせつない。思わず泣いた。