制作・出演 : 古今亭志ん朝
81年春の三百人劇場での録音。ジャケ写の若いこと。「高田馬場」は昔の珍商売を紹介するマクラだけで十分に笑わせてくれる。ネタに入ってからも、仇討ちフィーバーに盛り上がる街中の描写に、この人らしい鋭い観察眼を感じる。「甲府い」は淡々とした語り口の一席。
勘当した息子が“臥煙”となり、火事騒ぎの最中に手助けに来る「火事息子」は人情噺であるが、志ん朝は絶妙のテンポで微笑みを誘う口演である。女髪結いが年下の亭主と喧嘩をしては仲人に泣きつく「厩火事」では、小気味良い口調でぽんぽんと展開する。
堅物で厳しい番頭、実は粋な遊び人。隠れ遊びを旦那に見つかってしまった番頭はクビかとおびえる。さて旦那は……。江戸時代の商人美学を描いた50分を越える大作で、謹厳実直な小言と芸者遊びの華やかさと、好対照の話芸を軸にじっくり聴かせてくれる。80年の収録。
79年に大阪で行なわれた故・志ん朝のライヴである。まだ若々しい色気、愛嬌に満ち、整った口調で浪花の客を沸かせていく。品川女郎のお染が心中の相手に選んだ本屋の金蔵のちょろいこと。後半のテンポのいい追い込みが小気味よい「品川心中」は逸品だ。
いままさに“旬”を迎えた瞬間の音源だけに、テンポのよさ、とくに上下の切り返しの鮮やかさは絶品。「寝床」の旦那は八代目文楽や六代目園生に比べて乾いた演じ方だが、これは自身の年齢を考慮してのことだったのだろうか。そのぶん「刀屋」の徳三郎はハマッているのだが。
「碁どろ」は、客を相手に碁に夢中の家に泥棒が侵入。碁の好きな泥棒がついつい口出し始めるという滑稽噺で、切れのいいテンポで爆笑を誘う。別れたはずの男が夜な夜な忍んでくる「お若伊之助」には新鮮な色気が漂っている。79年2月20日、三百人劇場ライヴを収録。
噺の刈り込みの巧みさはさすがで、明るくテンポのよい高座を思いだす。ただ、晩年は自身のスピードに乗り損なうときもあった。若々しさと円熟味の齟齬とでもいうべきか。ひょっとしてそのあたりに“志ん生”襲名を躊躇してきた原因があったのでは、とは暴論に過ぎるか。
色は匂ヘと散りぬるをシリーズの“ろ”の巻で、父親の五代目志ん生も演じた名作。吉原での道楽が過ぎて勘当された若旦那が、思いがけなく悲惨な母子家庭に救いの手を差しのべ人情に目覚める。志ん朝の端正な語り口と若旦那のおっとりとした描写ぶりに名人の味が……。
故古今亭志ん朝が残した音源。八代目文楽が得意とした噺を志ん朝が若々しい口調の色気で演じている二題を収録。77年の『志ん朝の会』で収録した「酢豆腐」では、知ったかぶりの若旦那が酢豆腐を食べるシーンでのおかしさは逸品。76年の「鰻の幇間」も収録。★
志ん朝の話にはパワーがある。テンポのいい語り口、やわらかな気品、硬軟併せ持つ人間そのものの描き出し方には、ほれぼれとさせられる。おそらくこれがメジャーな落語なのだろう。99年にホールにて収録されたという録音状態の良さも特筆もの。気持ちのいい後味だ。
77年から82年にかけての三百人劇場でのライヴ・シリーズ。若々しい色気を発散する登り坂にあった頃の話芸は、とにかく小気味のよいものである。席亭がなくてもやっていける数少ない落語家にすでに出来上がっている。今よりもテンポが多少速いようだ。
6代目古今亭志ん生がまだ志ん朝だった70年代末に録音された「井戸の茶碗」(1979年)と「今戸の狐」(80年)。前者は良いに決まっているけれど、先代の志ん生と十代目馬生の十八番だった後者が特に巧い。これができる若手噺家が何人いるか。
現代の名人・志ん朝が、まだ若かった17年前と13年前に録音したアルバムのCD化。タレント活動を止め古典に専念して結果が現われ始めた時期のものだけに、前向きのパワーが感じとれる。うまいと言われ、今の円熟に向かうストレートな意気込みが伝わる。