2004年1月21日発売
アルゲリッチが、その奔放さの一方でデュオを好むのは興味深い。ここではラビノヴィチと掛け合いでモーツァルトを演奏してる。アレグロの爽快なテンポ感はもちろん、アンダンテで相手の呼吸をはかりながら音を紡ぐ間の面白さ。聴きごたえあるアルバムだ。
3曲とも別の編成でのほうがよく知られているが、この表現力豊かなデュオで聴いてしまうと2台ピアノ作品としての価値を認めざるを得ない。ときに細かな声部が埋もれてしまうこともあるが(作品34bの第1楽章など)、ダイナミズムの幅も広くスケール感たっぷり。
もうこれは人間業ではない! 単なるオーケストラ曲のアレンジという領域をはるかに超えて、2台ピアノの極限まで示してしまった“危ない”世界である。いささか地味な「家庭交響曲」など面白すぎるし、「ラ・ヴァルス」など超絶過ぎてもはや別曲のイメージすら漂う。必携盤。
解釈の深浅よりも、まず指が回るかどうかが問題になる難曲ばかりを集めたアルバムである。録音当時、17歳だったヴェンゲーロフのテクニックは、小憎らしいほど冴えわたっている。パガニーニの曲では、メータが作り出す堂々たる響きも印象に残ることだろう。
これは親しみやすい映画音楽を単に集めたものじゃない。エンタテインメントとしてはワサビが利きすぎている。むしろクレーメルの雑食的知的好奇心と表現意欲を刺激する音楽のみを集めている。この読みと作りの面白さ・鮮烈さ・斬新さは彼だけのもの。★
高音で聴かせる彼女の声の特別な輝きと潤いは高い評価を受けているが、低めの声域でも温かく滋味ある味を聴かせてくれる。細やかな感情の機微をしっとりと丁寧に歌い上げており、コロラトゥーラのテクニックのみに留まらない彼女の実力が証明されている。
モーツァルトが12歳から亡くなる年まで書き綴った珠玉の歌曲がほぼ年代順に並べられている。一語一語語るかのようにテクストを大切に扱いつつ、磨き抜かれた響きで“喜”や“哀”の表情を歌い分けてゆくきめ細やかさは抜群。官能的であってもどこか清涼さが漂う。★
「アヴェ・マリア」を聴けばこころに響くシューベルト歌曲の薄幸の美しさ。ほかにもミニョン、エレン、グレートヒェンなど、この作曲家が取り上げた幸薄い乙女たちを歌うのに、これほどあった美声はほかに考えられないだろう。詩解釈の深さがその魅力をさらに盛り上げる。
ロマンティックなCDである。春の息吹に満ちあふれた旋律をボニーのシルキーな声が綴っていくさまはじつに美しい。明晰な和声で支えるパーソンズのピアノがチャーミングな歌唱を一層魅力的にした。
バレンボイムの「ドイツ・レクイエム」は鎮魂歌でありながら、過剰な沈痛さや威圧感とは無縁である。全編を慈しむような温かい響きで包み込むことで、神の救いを暗示し、死者の魂を慰めようとするかのようだ。独唱&合唱の柔らかな声が肺腑に沁みてくる。
1996年4月13日のムジークフェラインにおける作曲家生誕150年記念演奏会は満員の聴衆が熱狂する忘れ難い一夜だった。ホールの美しい響きをとらえた録音は会場の雰囲気をよく伝えている。トスティをこんなにも真摯に情熱的に歌うテノールはほかにいないだろう。
キリ・テ・カナワのクリーミーな声が最も似合うのは、プッチーニのオペラのヒロインではないだろうか。そんな彼女の円熟の歌唱が十八番のレパートリーで堪能できる。プッチーニの珍しいピアノ伴奏の歌曲が収められているのもうれしい。