小説むすび | 著者 : パウロ・コエーリョ

著者 : パウロ・コエーリョ

第五の山第五の山

混迷を極める紀元前9世紀イスラエル。指物師のエリヤは、子供の頃から守護天使の声を聞き、ビジョンを見て育った。ある日、私の言、「私の言葉が果たされぬ間は、雨も露も一滴も降らないであろう」という大いなる啓示を受け、エリヤは王に進言をするが、運命が彼に与えたのは、苦難と使命だった。人は自分の運命に向かって旅する時、しばしば道を変えざるを得なくなるーー。旧約聖書の時代から蘇る、愛と勇気、そして運命の獲得の物語。 『第五の山』は、作者パウロ・コエーリョの第七作目の作品ですが、日本に紹介された作品としては、第四作目にあたります。コエーリョは敬虔なカソリック信者であり、また、カソリックに属する神秘主義教団のーつであるRAM教団にも属しています。それもあって、彼の今までの作品の多くは、キリスト教の色彩と神秘主義的な香りを合わせもつものになっています。この『第五の山』はその中でも、特にキリスト教的色彩の濃い作品と言えるかもしれません。(訳者あとがきより)

ピエドラ川のほとりで私は泣いたピエドラ川のほとりで私は泣いた

スペインの小さな田舎町で教鞭を執る29歳の女性ピラールは、12年ぶりに再会した幼なじみの男性から愛を告白される。病を治す力をもつ修道士の彼は、彼女に自分と一緒に来てほしいというが、今の暮らしを捨てる決心がつかずにピラールは悩む。彼との旅を通して、真実の愛と神の力を再発見していく。すべての愛の中には成長の種子が秘められている。愛に身をゆだねることの大切さを描いた、世界的ベストセラー。 本書はブラジルの作家、パウロ・コエーリョの“Na margem do rio Piedra eu sentei e chorei”(一九九四年)の日本語訳です。パウロが自らを女性に擬して、一人の女性の愛の回復と神の再発見を描いています。そのプロセスは異なるとしても、まさしくパウロの人生に起ったことと同じだということもできるのでしょう。彼はあるインタビューの中で、「作家の役割は、人々に何かを伝えることではなく、人々が自らを映し出すための鏡となることだ」と語っています。 『ピエドラ川のほとりで私は泣いた』の主人公ピラールの中に、訳者自身も何度も昔の自分の姿、今の自分の姿を見出したものです。人に笑われるのではないか、文句を言われはしないかといった怖れや、自分の中の他者の支配から抜け出して、自分の本当の心の声に素直に従い、自分の夢とあこがれを自分に許した時、私たちは真の幸せと喜びを体験できるのだということを、ピラールの物語は私たちに語りかけているのだと思います。(訳者あとがきより)

星の巡礼星の巡礼

本書はプラジルの作家、パウロ・コエーリョの処女作である『魔法使いの日記』(原題DiariodeumMago")の日本語訳です。彼の作品は『アルケミスト』『ブリーダ』『ピエドラ川のほとりで私は泣いた』『第五の山』の四冊の創作的作品と、この「星の巡礼』『ヴァルキリーズ』の二作に見られる自伝的要素の強い作品に分かれています。いずれの場合にも、人間のスピリチュアリティ、つまり、霊性の広がりを追求している作品です。物質的な発展の究極まで行きつき、魂の再発見に向かっている今、多くの人々の心を打つのも当然と言えましょう。(訳者あとがきより) 【目次】 プロローグ 第一章 到着 第二章 サン・ジャン・ピェ・ド・ボー     *種子の実習 第三章 創造する者、創造されし者     *スピードの実習 第四章 自分に対する愛と寛容     *冷酷さを知る実習 第五章 メッセンジャー     *メッセンジャーの儀式 第六章 愛     *直感力を養う(水の実習) 第七章 結婚 第八章 法悦     *青い天空の実習 第九章 死     *生きたまま葬られる実習 第十章 祈り 第十一章 征服      *RAMの呼吸法 第十二章 狂気      *影の実習 第十三章 命令と服従      *音を聞く実習 第十四章 トラディションの儀式      *ダンスの実習 第十五章 エル・セブレロ  エピローグ:サンチャゴ・デ・コンボステーラ

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