著者 : 中岡潤一郎
「俺が信長になって天下をまとめあげる!」-突然の怪現象によって二一世紀から時空転移、本能寺の変直前の織田信長に転生した光明寺一久は固く決心する。明智光秀の協力を得て生まれ変わった織田軍を中国と四国へ押し進めた信長(一久)は、日の本統一へ順調に邁進するかに見えた。だが、思いも寄らぬ事態が生じる。信長の言動や振る舞いを見て、偽物だと見破った羽柴秀吉が謀叛。大軍を率い備前から畿内へ戻ってきたのである。京を守るため山崎に陣を構え、秀吉を迎え撃つ信長。果たして、因縁の地で火蓋が切られた天王山決戦の結末はー。そして信長は、天下への夢を叶えることができるのか!?
「皆の者、久しぶりである」-天正十年九月、安土城に死んだはずの織田信長の姿があった。だがその正体は、信長ではなかった。本能寺の変の直前、異変によって転生した、令和に生きる光明寺一久であった。一久は後世の知識を活かし、明智光秀と和解。今後は共に協力することを誓い、三ヶ月の雲隠れの後、家臣の前に現れたのである。だがこの間、織田家は北条、上杉、毛利の反攻、三好勢の謀叛に苦しんでいた。劣勢を打開すべく、一久は自ら四国出陣を決意するが、主君の様子に羽柴秀吉が違和感をおぼえ始め…。生まれ変わった最強軍が、天下取りに邁進する波乱の戦国シミュレーション、開幕!
昭和19年10月、「興号計画」を実行していた日本は、帝国戦艦部隊の行動により、マリアナ沖で米太平洋艦隊と衝突。期せずして米国との短期決戦へと突入してしまった。幸いにも、この戦いで米空母部隊を撃破し、勝利を収めた日本海軍ではあったが、もはや最終決戦までの時間は残されていなかった。そんな中、昭和20年2月、日本海軍は国の命運を決める最大にして、最後の大作戦「烈号作戦」を計画。マーシャル諸島の奪還を目的とし、米基地部隊を撃退して環礁を制圧する作戦だった。そして、ついに戦艦大和を擁する大水上艦部隊が、米太平洋艦隊が待ち構えるマーシャルへと出撃するー!
織田信長は信玄に降伏を申し出て武田家の軍門に降ったが、試練の3年を経て天正3年(1575年)、ついに尾張で蜂起。信長は尾張と美濃の奪還に成功し、近江で武田勢の主力を撃破した。信玄は織田を叩いて国を作り変えるため、京の町に火を放つという鬼謀までめぐらし、尾張笠寺の決戦で信長を追いつめる。しかし、武田に反旗を翻した徳川家康の決死の進撃で信玄は深傷を負い、家臣に見守られて息を引き取った。無敵と思われていた信玄を破った信長の評判は全国に広がり、その勇名は飛躍的に高まる…。風雲急を告げる戦国シミュレーション、第2部の開幕!
日米開戦から約1年9か月が経った昭和18年9月、内南洋でこれまでにない衝突が起こる。この戦いにより、日本はパラオ諸島を喪失。マリアナを除いて、内南洋の要衝をすべて失い、軍事的にも、経済的にも追い込まれる形となった。しかし、政府も軍部も、この時がくることは想定しており、開戦後の3年を捨て、新兵器開発・生産、燃料や弾薬の備蓄に取り組み、国際的に孤立しても1年間は米国と戦争ができる状態にする「興号計画」を実行していた。そして昭和19年10月、マリアナ沖で大規模な戦闘が勃発。計画にはない帝国戦艦部隊の行動により、米国との短期決戦へと突入してしまうのであったー。
三方ヶ原で織田・徳川軍を破った武田信玄は、翌年に尾張へ突入した。その先鋒が那古野城に迫ると、織田信長は突如、降伏を申し出て武田家の軍門に降った。試練の時を過ごした信長は3年後の天正3年(1575年)、ついに尾張で蜂起。信長は尾張と美濃の奪還に成功、さらに近江で武田勢の主力を撃破する。京に逃れようとする武田勢に信玄から下知が届き、西の武田領を捨てて信濃に向かう。その頃、京では信玄の策により火が放たれ、町は炎に包まれた…。織田を叩いて国を作り変えるー鬼謀をめぐらす信玄に追いつめられる信長、その運命は!?書下ろし戦国シミュレーション。
三方ヶ原で織田・徳川軍を破った武田信玄は、翌年に尾張へと突入した。その先鋒が那古野城に迫った時、突如、織田信長は降伏を申し出て武田家の軍門に降り、信長は信玄の命に従って働くこととなった。試練の時を過ごした信長は、3年後の天正3年(1575年)に尾張で蜂起し、尾張と美濃を取り戻す…。臥薪嘗胆の時期を終えた織田家の前に立ちふさがるのは、東と西に分かれた武田家。信長は近江を押さえる西の武田勢への攻撃を決断する。しかし、京を出て駿府に引きこもった信玄は、なぜか沈黙を続けるのだった…。
元亀4年(1573年)4月、前年に三方ヶ原で織田・徳川軍を破った武田信玄は西への進撃を再開、三河から尾張へと進入した。その先鋒が那古野城に迫った時、突如、織田信長は降伏を申し出た。信玄は熱田神宮で信長と会談、織田家は武田家の軍門に降り、信長は信玄の命に従って働くことになる…。それから3年、大雨が氾濫を繰り返す木曽三川の普請の現場には、人夫にまじって汗を流す信長の姿があった。武田家の尾張支配に全面協力する信長の真意は?試練の時を送る信長が天下布武に向けて叛旗を翻す!
連合艦隊はハワイ奇襲に成功、ミッドウェー海戦でも勝利する。海軍への期待の高まりに陸軍首脳部はいらだちを強め、昭17年7月、陸軍部隊が連合艦隊司令長官山本五十六宅を包囲。政府・海軍・宮中は事前に情報を察知し、最悪の事態を避けることができた。日本はフィジー、サモアも支配下に収めて米豪遮断を図り、中国では日本陸軍が国民党に協力して共産党勢力を撃退。昭和18年6月の第二次ミッドウェー海戦でも新型空母を仕留め、米軍の侵攻を阻止する。しかし11月28日、米軍はガダルカナル島への上陸に成功。日米両艦隊は総力を結集して最後の決戦に挑む!
連合艦隊はハワイ奇襲に成功、ミッドウェー海戦も勝利する。海軍への期待の高まりに陸軍首脳部はいらだちを強め、昭和17年7月、陸軍部隊が連合艦隊司令長官山本五十六宅を包囲。政府・海軍・宮中は事前に情報を察知し、最悪の事態を避けることができた。日本はフィジー、サモアも支配下に収めて米豪遮断を図り、中国では日本陸軍が国民党に協力して共産党勢力を撃退した。そして昭和18年6月の第二次ミッドウェー海戦でも、潜水戦隊の活躍により新型空母を仕留め、米軍の侵攻を阻止。オーストラリアと中国は秘密裏に連合国からの離脱を決意する…。
日本はハワイ奇襲に成功、ミッドウェー海戦でも勝利する。海軍への期待が高まることに陸軍首脳部はいらだちを強め、昭和17年7月28日、陸軍部隊が連合艦隊司令長官山本五十六宅を包囲。政府・海軍・宮中は事前に情報を察知し、最悪の事態を避けることができた…。日本は南方の資源地帯を確保して長期不敗体制を構築。フィジー、サモアも支配下に収め、豪州西海岸を攻撃して米豪遮断を図る。中国では日本陸軍が国民党に協力して共産党勢力を撃退した。ヨーロッパ戦線の行方も不透明ななか、ついにミッドウェーで米軍の反撃が始まる!
ハワイ奇襲に成功、ミッドウェー海戦でも勝利したことで帝国海軍への国民の期待が高まる。それに対し陸軍首脳部はいらだちを強め、昭和17年7月28日、辻政信の指揮する陸軍部隊が連合艦隊司令長官山本五十六宅を包囲。政府・海軍・宮中は事前に情報を察知し、最悪の事態を避けることができた…。大東亜戦争の開戦から1年、日本は南方の資源地帯を確保して長期不敗体制を構築。ソロモン海戦では米空母部隊を打ち破り、フィジー、サモアも支配下に収めた。そして、米豪連絡線を断つべく豪州作戦の始動へと動き出す!
天子直属の『護人』葛城九十郎は、京に生まれ京のために死す、百年に一人の天才と言われる最強剣士。九十郎は、ある事件で『護人』としての情熱を失ってしまったが、天子の命で江戸に移り住み、不穏分子の探索を始める。図らずも彼は朝廷のみならず、幕府をも揺るがす影の集団に辿り着くが…!?
1942年3月1日、ルーズベルト米大統領は、驚くべきスピードで日本に対する宣戦布告を行なった。その衝撃は世界中に広がる。電光石火の早業に、日本は大混乱に陥った。強硬派と穏健派に分かれ、さらなる国内の混乱を呼ぶ。そのすべての元凶は41年6月、突如、世界を激震させたヒトラーの日本への亡命だった!42年2月、ヒトラーは帝国陸軍の幹部を巻き込み、自らの野望を果たすべくクーデターを画策するが、結局、東条英機らの活躍で、日本は危機を脱し、ヒトラーは焼死する…。しかし、ルーズベルトは戦争を欲していた!山本五十六は、長門の長官室で軍令部の無為無策に唇を噛みしめる。一方、キンメルは短期決戦を望む大統領の意向を受け、全力で決戦に挑む。マーシャル諸島沖、両軍の思惑をこえた激突の火蓋が、ここに切られる。
1942年3月、台湾空襲に参加した極東米軍のB-17はあり得ないものを目撃した。単翼低翼で、機体は小さい。それは、メッサーシュミットBf109の勇姿!すべては、41年6月の「事件」から始まったのだった。世界を震撼させ、歴史の歯車を狂わせた「事件」…。陸軍大臣・東条英機はいらついていた。ドイツとの意思の疎通がはかれないのだ。駐独大使からも内容のある報告はなかった。ドイツ大使館に呼び立てられ、大使自らの出迎えを受けた東条に、正体不明の不安がこみ上げる。果たして東条を、そして日本の運命を左右するものとは?気鋭が斬新な発想で描く本格シミュレーション戦記。
「うまくいけば、我々は太平洋に覇を唱えられる」「太平洋の覇者か…できることなら太平洋の王者といきたかったな」日米講和の道程を模索する野分礼二首相に、比島にて辛勝を収めた海軍軍令部総長山本五十六大将より、次なる作戦が提示されていた。アメリカ太平洋艦隊の根拠地を奇襲する-ハワイ作戦。ここで勝利を掌中にできれば、さしものアメリカとて和睦への機運が高まるはず。是が非にでも決行したいと熱く語る山本であったが、作戦そのものの難しさもさることながら、その実施を阻む存在、“内なる敵”陸軍という難題が立ちはだかっていた。作戦の概要が説明される大本営会議で野分が仕掛ける秘策とは?戦記シミュレーション小説の新しい波、堂々の完結篇。
比島攻略戦がはじまって一ヵ月、作戦は暗礁に乗りあげていた。芳しくない戦況は陸海軍の齟齬を来たし、両者の溝は深まりつつあった。「陸軍はできるだけのことをしている…」「…海軍部としては動きかねますな」田中新一参謀本部第一部長と黒島亀人軍令部第一課長の互いに譲らぬ主張は連絡会議を紛糾させ、混迷をきわめた。「もうよかろう、今は駆け引きなどしているときではない」山本五十六軍令部総長の凛とした声が響き、軍令部が頭を下げることで陸海軍一触即発の危機はかろうじて避けられた。思わぬ内憂に野分礼二首相はため息をつくばかりであった。さらに新たなる敵が野分、そして日本の前に立ちふさがろうとしていた。
戊辰に始まった徳川幕府と薩長連合軍の戦いは、慶喜の意志を受けた榎本武揚が幕府艦隊を率いて脱走し針路を北に取り、北海道国を打ち立てたことで、日本を二つに割る大戦争となった。二度にわたる津軽海戦の結果、太政官軍が勝利を収め、両国は休戦条約を結んだ。分裂の危機を回避した日本に迫る新たなる危機-それは、北の猛獣ロシアの存在だった。1874年6月、樺太で監視につく男たちの目の前にロシアの装甲艦の姿があった。甲板にぎっしりとつまっていた兵はボートに分乗し、ついに上陸を開始した…。樺太からロシアを追い出すために開戦を決意した日本は、総力を結集し、北の海に向かう。対するロシアは、バルト海から最新鋭艦を回航した太平洋艦隊で日本に挑む。ついに、日本の命運を賭した壮絶なる艦隊決戦の幕が開く。