著者 : 吉川英治
維新の嵐、その片隅でそれなりの役割を勤める、どこかおどけた好漢ふたり。日本人のこころを洗うこの一冊。愛とは、幸福とは、人間とは、歴史とは何か。
沢井転と一平。二人を結ぶ不思議な縁。天誅組の義挙と新撰組の剣風の中で、因縁の二人は、どこへ流れてゆくのか…。日本人のこころを洗うこの一冊。愛とは、幸福とは、人間とは、歴史とは何か。
維新後、幇間となって反骨を貫いた幕臣、土肥庄次郎の生きざま。日本人のこころを洗うこの一冊。愛とは、幸福とは、人間とは、歴史とは何か。
尾張中村の貧農の家に生まれた日吉丸は、いかにして天下人になりえたか。天性の才智と人並外れた努力によって天下を極めた英傑、豊臣秀吉の物語。最高に面白い歴史小説の英語版。
忠臣蔵の「昭和定本」をいろどる人間模様の数々-。血をみてはならぬ殿中で、浅野内匠頭が吉良上野介めがけて腰の小刀を一閃したとき、赤穂藩五万三千石は音もなく崩れた。太守は即日切腹、城は明け渡し。三百の藩士とその家族の驚愕と困惑。それは突如として襲う直下型の激震にも似ていたが、強烈な余震はまた世人を驚倒させずにはおかなかった。四十七士の吉良邸討入りである。
刃傷事件から討入りまで、忠臣蔵はどこをとっても胸をうつドラマである。今でも我々の心を動かすのは、人生の縮図を形をかえて観るからだろう。振幅の激しかった大石内蔵助。また大石と共に立ち上がりつつも、消えてゆく同志。偽りの恋に情熱のすべてをかける女心の哀れさ。ラストシーンを飾る琴の爪の話ー。
大正14年、百万の読者を目ざして創刊された「キング」に発表されたこの作品で、従来の筆名に別れを告げ、新たに吉川英治が誕生した。-美男で剣を見るのさえ身体がふるえる春日新九郎が、兄の仇、富田三家随一の名人、鐘巻自斎を相手に戦うまでの数々の辛苦と、剣難女難。
美しい玉日の代りに善信(親鸞)が得たものは、宗門を挙げての非難、迫害であった。それは法然、滋円、親族にも及ぶ糾弾であった。遠流も辞せずー善信の不退転の決意は揺るぐことなく、未曽有の法難に耐えぬく。
みごとな仕上がりで、思わず息をのませる短編の名品佳作。-江戸を荒しまわった揚句、上方に高飛びしてほとぼりの冷めるのを待っていた鼠小僧。ムズムズしてきた例の手くせと持ち前の義侠心が、女のことから暴発した表題作「治郎吉格子」。-ほかに「増長天王」、「醤油仏」、「八寒道中」、「野槌の百」、「銀河まつり」、「無宿人国記」、「雲霧閻魔帳」の7編を精選して収録する短編名作集。
様々な素材と趣向とテクニック。著者の才華がほとばしる短編の数々。-柳生流は無刀を兵法の極意とする。しかし宗家但馬守は、現実においては大目付の職権をもって諸大名を糾弾し、彼らの怨嗟を一身に浴びていた。家にあっては4人の子息の父。だが、その放蕩柔弱を嘆く師父でもあった。剣聖の波瀾の心中を描く「柳生月影抄」のほか、「下頭橋由来」、「大谷刑部」、「鬼」など8編を収録。
義経が牛若といって鞍馬にあったころ、同じ源氏の血をうけて、十八公麿(後の親鸞)は生れた。平家全盛の世である。落ちぶれ藤家の倅として育った彼は、平家一門のだだっ子寿童丸の思うままの乱暴をうけた。彼は親鸞に生涯つきまとう悪鬼である。9歳で得度を許された親鸞の最初の法名は範宴。師の慈円僧正が新座主となる叡山へのぼった範宴を待っていたのは、俗界以上の汚濁であった。
大盗天城四郎の魔手から玉日姫を救い出したのは、範宴である。その日から範宴はもの想う人となった。甘ずっぱい春の香りは、払えども払えども、範宴を包む。禁断の珠を抱いて、範宴はみずからおののく。京の夜を煩悩に迷い狂う範宴!追い討つように、山伏弁円は彼に戦いを挑む。信仰の迷いに疲れた範宴は、このとき法然を知る。奇(く)しき法然との出合い。親鸞の大転機であった。
信長の死後一年、めまぐるしい情勢の変化だった。しかし、賎ケ岳の一戦をもって、信長の衣鉢はすべて、秀吉に継承されたといっていい。ただ一人、秀吉には強敵が残った。海道一の弓取り家康である。その家康も名器“初花”を秀吉に献じて戦勝を祝した。だが、秀吉の天下経営に不満を抱く信長の次子・信雄は、家康と結び、秀吉に真っ向から敵対する。かくて小牧山に戦端が開かれる。
山崎、賎ケ岳の合戦と、破竹の勢いで進んできた秀吉軍が、たとえ一部隊にせよ、長久手で家康軍に完敗したことは、今後の戦局、いや政局に、微妙な翳を落さずにはおかない。秀吉には苦汁を、家康には遅まきの美酒を。家康の不撓不屈の闘志と、秀吉の天才的なヨミが、激突する。そして秀吉が一歩先を制した。長らく信長の陰に隠れていた秀吉の“力”がここに全容をみせるのである。
天正10年春、信長は得意の絶頂にあった。東方の脅威だった武田氏はわが蹂躪に沈み、天下統一の道は西国を残すのみとなった。その西国も、秀吉が高松城を包囲し、着々戦果を上げていたが、救援毛利勢の動き如何では、覇業に頓座をきたすとも見えた。かくて信長出陣。だが出陣にも似ぬ軽装は、信長一期の不覚といえよう。運明の本能寺!鞭を揚げて東を指したのは、逆臣光秀であった。
信長凶刃に斃るの報を、織田の諸将はどう受けとったのか。秀吉は備中・高松城を水攻めに計った矢先。もし毛利方に信長の死が洩れたなら、情勢はどう変っていくか。まさに薄氷をふむ思いで、秀吉はこの3日間を過した。だが、彼の心気は生涯の内で最も充実したときであったろう。主君の弔合戦に姫路城を進発した秀吉の眉間は明るく、思惑はずれの天下に失望した光秀とは好対照をなしていた。
天下統一にまっしぐらに進んでいた信長の死。しかも嗣子の信忠もろともの死であっただけに、後継者問題は織田家の内外を通じて、頭の痛いことであった。清洲会議の決定も、次第に宇に浮いてゆく。いち早く光秀を誅殺し、家中第一の発言権を確保した秀吉、一歩遅れたりといえど、宿老として重きをなす勝家。激化する二人の対立に、信長の子・信雄、信孝の思惑がからんで賎ケ嶽合戦へと進む。
十手捕縄をとって30年、捕物の神様とうたわれた名与力・塙江漢が、突如、暴風のように襲った悪魔により、晩年の幸福を引きちぎられる。倅郁次郎は無実の罪で獄舎に繋がれ、その許嫁花世の身辺にも魔手は及ぶ。一命を投げうって巨漢に挑む江漢の努力は、花世の花嫁姿に報われる。