著者 : 山岡荘八
若く野望に燃えていた青年期を経て、織田家での異例の出世、そして本能寺の変へー。かるたの札に絡めて、謀叛の理由へ大胆に迫った「純白き鬼札」(冲方丁)、事実と虚構を見事に切り分け、謎多き光秀を独自の解釈で描いた「一代の栄光」(池波正太郎)、叛逆者の娘・珠の、ある願いと悲劇の選択を描く「ガラシャ」(植松三十里)など、人気歴史作家による名作短編六編を収録した豪華アンソロジー。
絶望的な「死の舞踏」をくりひろげた挙げ句、サイパン島は失陥、他の太平洋の島々にも累々と死屍が積まれた。和平に持ち込む戦略を持たない指導者たちは、逼迫するほど闘志を燃やし破滅に向けて狂奔。戦艦部隊の強行突入に国運を賭けなければならなくなる。もはや残された道は、玉砕と特攻しかなかった。
「帝都の表玄関」でありながら絶体絶命の孤島と化した硫黄島。その地下壕に栗林中将以下、二万三千人の兵は敵襲を待つ。全滅する以外にない残酷きわまる運命は、隆盛日本の象徴・戦艦大和にも降りかかる。どんな悲惨がおとずれようと本土から助ける手段はもはやなく、沖縄では、最終特攻戦が始まっていた。
「一億総特攻」として誰もが死所を探す危機は、天皇の聖断により救われた。昭和二十年八月十五日、終戦。武人たちは自決、天皇は「責任は私が負う」とマッカーサー元帥に告げた。そして「数世紀間の文明を抹殺する思想」という不条理のもと東京裁判が始まる。平和に徹して生きる未来のための鎮魂の巨篇、完結。
和平のため奔走する首相・東条英機だが、ルーズベルト大統領は対日戦争の肚を固めていた。真の日本の苦悩を見抜いた山本五十六は、連合艦隊司令長官就任の祝宴で「天命を待つのみでは祖国の安泰は期しがたい」といってのけた。海軍報道班員として従軍した著者による、太平洋戦争全史を描いた唯一の大河小説。太平洋戦争年表、参考作戦地図入り。
日本の運命は三人の軍司令官に託された。マレー強行作戦陣頭指揮の山下奉文中将、比島の本間雅晴中将、蘭印の今村均中将。緒戦の勝利を踏まえ東条英機首相は、占領地域を固める方針だったが、山本五十六連合艦隊司令長官は猛反対。大戦の本質をとらえたうえで、完全なる勝利を目指してミッドウェーに出撃する。太平洋戦争年表、参考作戦地図入り。
活路をニューギニアに求めて大軍を上陸させた日本軍だが、米軍の反撃は圧倒的な物量とともに予想をはるかに上回る速さだった。増援の一兵も送れず炎熱と飢餓のなかで軍は壊滅。ビルマではインパール作戦の火蓋が切られたが、思わぬ作戦齟齬の罠が待ちかまえていた。鬼神をも哭かしむる壮烈な戦いが続く。太平洋戦争年表、参考作戦地図入り。
大久保長安の遺した不思議な連判状は何を意味するのか。やはり大坂は討たねばならないのか。しかし家康の願いは豊臣家存続にある。そのためには戦の回避と大坂開城が必要絶対条件だった。家康と片桐且元の和平交渉が始まる。家康は方広寺の鐘銘事件に名をかりて、淀君、秀頼母子に、大坂城無血明け渡しの謎をかけた。だが…。
大坂冬の陣!籠城を決定した大坂方は河内出口村の堤を破壊し、枚方付近の道を閉ざした。しかし家康は容易に二条城を動かず、東海道を大軍で西上する秀忠にも「急ぐな」との命を発する。はたして家康は、胸中に何を秘めているのか?紆余曲折ののち和議成立。が、それも束の間、時の勢いは夏の陣へ…。
大坂夏の陣!濠を埋められ、篭城できなくなった大坂方は城外に打って出た。名ある猛将も相次いで倒れ、太閤以来の名城も紅蓮の焔に包まれる。そして、家康の最後の悲願淀君・秀頼母子の救出も水泡に帰した。やんぬるかな、秀頼母子ご自害!こうして豊臣家は地上から永遠に消え去った。
豊臣家減亡後の家康に残された仕事は幕府永続の礎石固め、すなわち確乎とした泰平の世づくりであった。「人間はみな永遠に続く大樹の枝葉なのだ」という万民の愛と安らぎをめざす世を!その理想を果たし、巨樹はついに波乱にみちた75年の生涯を終える。時代を超えて生きる壮大なロマン完結編。
慶長8年2月、家康は征夷大将軍に就任し、いよいよ天下人として、理想の国家づくりに着手した。徳川・豊臣両家の和合のため、孫の千姫を秀頼に嫁がせ、「斬り取り勝手」の戦国の常識を根底から改革しようとする。しかし淀君をはじめとする反徳川の執念は根深く、泰平の道はいまだ遠しである。
江戸に幕府を開いた家康の封建政治はようやく人々の理解を得て根づくかに見えた。日本は世界一の進歩国として世界に知られ,国内では秀忠に嫡子竹千代が生まれて徳川の基礎も固まった、と思われた。が、次期政権を望む淀君と秀頼にとっては竹千代出生は大きな不安の種となり、再び乱世のきざしが。
着々と国内統治を進める一方で、家康は海外貿易に情熱を見せる。と、ここにもまた一つの矛盾が生じた。紅毛人対南蛮人の確執。それは世界の海に野望をもやす大久保長安の奇怪な夢を煽り、伊達政宗、松平忠輝をもふしぎな野心の渦に捲きこんだ。さらに切支丹勢力の画策!家康の理想は危機に瀕する。
大久保長安の“貿易日本”建設の野心は、松平忠輝と伊達政宗の心を大きく揺さぶった。しかし野心は時として無謀を呼ぶ。はたして長安の動きは、旧教宣教師や関ケ原牢人の、徳川覆滅の夢を煽る導火線となった。大坂へ大坂へと、諸国の牢人の激情が集約されてゆく。“大坂の陣”はすでにその兆しを見せた。
秀頼の誕生は新たな権力争いの種となり、関白秀次の自刃とその妻妾三十余人の斬殺という悲劇を招いた。一方、伏見大地震の混乱の中で迎えた明の講和使節が、実は無礼きわまる冊封使だとわかると、秀吉は烈火のごとく怒り朝鮮再征の令を下す。そして、再征の結着もみないまま一代の太陽児は波乱の生涯を閉じる。
太閤秀吉の死後には難題が山積していた。朝鮮からの撤兵用船舶の不足、日ましにつのる武断派武将と文治派吏将の対立、そして秀頼の母公淀君の頑迷と我執…。秀吉に後事を托された家康の使命は重い。と、そこに降ってわく“家康に異心あり!”の噂。はたして噂を流す石田三成の敵意はなにゆえか?
石田三成の家康に対する敵意はますますつのった。だが皮肉にも彼は、秀吉子飼いの七将の襲撃を避けるため家康の庇護を受ける羽目に。いったん三成を近江へ帰した家康は、上杉討伐を名目に出兵を決行。と、その留守を狙って三成挙兵、家康はただちに軍を西へ返す。関ケ原前夜、虚々実々の駆け引きが続く!