著者 : 山崎光夫
森林太郎(鴎外)は明治14年(1881)7月、満19歳で東大医学部を卒業。同年12月に陸軍に出仕するまで、千住で開業医をしていた父の診療を手伝っていた。卒業時の席次が8番と不本意なものだったため、文部省派遣留学生としてドイツに行く希望はかなわなかった。幼少時から抜群の秀才として周囲の期待を集め、それに応えつづけた林太郎にとって、わずか半年足らずとはいえ、例外的に足踏みの時代だったといえる。 本作は『鴎外青春診療録控 千住に吹く風』の続編。自分の将来について迷い煩悶しつつも、父とともに市井で庶民の診療に当たっていた林太郎が、さまざまな患者に接しながら経験を積み、人間的にも成長してゆく姿を虚実皮膜の間に描く連作小説集である。 著者紹介 山崎光夫(やまざき・みつお) 1947年、福井市生まれ。早稲田大学教育学部卒業。85年『安楽処方箋』で小説現代新人賞、98年『藪の中の家 芥川自死の謎を解く』で第17回新田次郎文学賞を受賞。小説に『北里柴三郎 雷(ドンネル)と呼ばれた男』『殿、それでは戦国武将のお話をいたしましょう 貝原益軒の歴史夜話』など。医学・薬学関係に造詣が深い。
森林太郎は明治14年(1881)7月、満19歳で東大医学部を卒業。同年12月に陸軍に出仕するまで、千住で開業医をしていた父の診療を手伝っていた。卒業時の席次が8番と不本意なものだったため、文部省派遣留学生としてドイツに行く希望はかなわなかった。幼少時から抜群の秀才として周囲の期待を集め、それに応えつづけた林太郎にとって、わずか半年足らずとはいえ、例外的に足踏みの時代だったといえる。本作は、自分の将来について迷い煩悶しつつも、父とともに市井で庶民の診療に当たっていた林太郎が、さまざまな患者に接しながら経験を積み、人間的にも成長してゆく姿を虚実皮膜の間に描く連作小説集である。
日本近代医学の父・北里柴三郎。破傷風菌の純粋培養、ペスト菌の発見など世界でも知られた医学者である。北里は医師として活躍しただけでなく、日本医師会および日本細菌学会初代会長、慶應義塾大学医学部創設という実績からもわかるように、オーガナイザー、経営者としての手腕も存分に発揮した。このような人物であるにも関わらず、北里に関する伝記・小説は子供向けの伝記以外に極めて少ない。 著者の山崎氏は、北里の秘書・田畑重明が日常を克明に記した日誌(未公開の一級資料)を入手し、それをもとに2002年4月から「週刊東洋経済」で「ドンネルの男」として連載された。 北里柴三郎は、ペスト菌を発見し、日本の医学、細菌学の基礎を築き、第一回ノーベル賞の候補にもなった世界的な医学者である。また、2024年には新千円札の肖像にも登場する。 コロナ禍の今こそ知っておきたい日本の近代医学の礎を築いた北里柴三郎の生涯!! 第一章 立志の道 第二章 ベルリンの光 第三章 疾風の機 第四章 怒濤の秋
『養生訓』の著者として知られる貝原益軒(1630〜1714)は、福岡藩に儒者・藩医として仕えた。博識多才で知られ、晩年に著した『朝野雑載』には戦国時代のエピソードが満載されている。本書は、そこに記された戦国武将に関する興味深い逸話を素材として、益軒が第3代藩主・黒田光之に千夜一夜物語風に語り聞かせるスタイルに仕立てた「戦国コント(小話)集」である。全42夜、登場する戦国武将は以下の通り。 織田信長/豊臣秀吉/徳川家康/徳川光圀/毛利元就/武田信玄/小早川隆景/森蘭丸/加藤清正/蒲生氏郷/明智光秀/今川義元/上杉謙信/藤堂高虎/石田三成/浅井長政/朝倉義景/竹中半兵衛/尼子勝久/大内義隆/黒田官兵衛/松永久秀/細川幽斎/伊達政宗/前田利家/福島正則/真田幸村/柴田勝家/龍造寺隆信/井伊直政/直江兼続/足利義輝/長宗我部元親/荒木村重/大友宗麟/豊臣秀頼/徳川秀忠/本多忠勝/黒田長政
第一回ノーベル賞を受賞するはずだった男、北里柴三郎。その波瀾に満ちた生涯は、医道を志した時から始まった。「肥後もっこす」そのままに、医学に情熱を傾ける柴三郎は、渡独後、「細菌学の祖」コッホのもと、破傷風菌の純粋培養と血清療法の確立に成功する。日本が生んだ世界的医学者の生涯を活写した伝記小説。 〈目次〉 第一章 立志の道 第二章 ベルリンの光
帰国した柴三郎は、福沢諭吉の支援を得て、伝染病研究所の設立を果たす。そこへ香港でペストが大流行との報が入り、現地へ。調査団からも感染者が出る過酷な状況下で、柴三郎はペスト菌を発見する。一方、東大閥との争いが激化。政治の思惑にも巻き込まれ、柴三郎は伝染病研究所を失うことになるがーー。〈解説〉大村 智 〈目次〉 第三章 疾風の機 第四章 怒濤の秋
高貴中の高貴薬といわれるのが、「紫雪」である。まさに秘薬であった。医薬の研究者なら一度は目にして、できれば口に含んでみたいと熱望する名薬である。口中に投じれば淡雪のように融けるという。そこから、「雪」の字が当てられていた。用いる生薬類も入手困難のうえに高額で、製法に高度な技術を要するので、当時、製剤は事実上、不可能だった。中国から輸入され、唯一、正倉院に所蔵されているだけである。奥医師ですら現物を見た者はいない。幻の薬である。その幻の薬を家康は欲したのではないか。医典籍を渉猟し、みずからも製剤するまでに医薬に長けた家康だからこそ、正倉院に幻の薬を発見して入手を思いたったといえる。家康は単なる好奇心だけで「紫雪」を探したのだろうか。
迷宮入りもやむなしと思われた事件が幾度、彼の手で解決されただろうか。3000体もの変死を扱った空前絶後の検死官・芹沢常行。鍛えられた勘と技術は「自殺」を「他殺」に変え、意外な真犯人を暴き出す。人呼んで「逆転検死官」。ワトソン役の作家・山崎光夫がその奥義に迫り、難事件の真相解明に挑んだ。
突然もちあがった抗生物質博物館設立プラン。展示の目玉にすべく、わが国初のペニシリン菌株を追い求める旅が始まった。忍びよる妨害の手、迫り来る危難。一体なぜ。菌株に何かの因縁があるとでもいうのだろうか。五十年を経た今、医学界をわき立たせ、同時に震えあがらせるペニシリンの秘密とは何か。
読むほどに心やすらぐ、温泉小説。恋わずらいもストレスも岩風呂、砂風呂、露天風呂お湯につかればどこへやら彼方に広がる星空にあなたとふたりの願いをかけて道後、城崎、湯西川…。湯盗り博士がご案内。
細胞手術という世界初の手法で執刀された肝臓移植手術の経過報告に、永田町は耳をそばだてていた。肝機能障害を噂される首相の緊急入院。全閣僚の寿命を1ケ月単位で予測したヒポテーブルなる怪文書。先端医学情報が国政を揺さぶった6ケ月を描く、驚異の医学サスペンス
「概ね健康」と公式発表されているVIPの遊説先に何故医師団が随行するのか-胸中にくすぶる疑念が次第に膨れあがってゆく。「会合」の真の目的は何なのか…。(レッドライン・カルテ)。花札一枚を看護婦に差出して藤森医師に取次ぎを頼んだ過去からの客人。男は何の礼を言いに現れたのか…。(第二外科時代の余罪)。八ケ岳の避難小屋で生死の境をさまよう登山者。猛吹雪のなか、わずかな材料で手術に踏み切れるのか…。(八ケ岳モルゲンロート)。新しいアングルから描く医のサスペンス集。